世の中は かくても経けり 象潟の 蜑の苫屋を 我が宿にして 後拾遺和歌集 能因
天にます 豊受姫に 言問はむ 幾代になりぬ 象潟の神 能因法師集 能因
象潟の 桜は波に 埋もれて 花の上漕ぐ 蜑の釣り船 山家集 西行
松島や 雄島の磯も なにならず ただ象潟の 秋の夜の月 山家集 西行
さすらふる 我れにあれば 象潟の 海人の苫屋に あまた旅寝ん 新古今和歌集 藤原顕昭
象潟や 渚に立ちて 見わたせば つらしと思ふ 心やはゆく 重之集 源 重之
松島や 雄島塩釜 見つつ来て ここに哀れを 象潟の浦 菅薦抄 親鸞
惜しまれぬ 命も今は 惜しむかな 又象潟を 見むと思へば 不玉編継尾集 北条頼時
象潟の 潮干の磯に 旅寝して 神にぞ月を 宿しぬるかな 同 北条頼時
命あらば 又も来て見む 象潟の 心とどめて 松の緑に 同 北条頼時
いかならん 世には住むとも 象潟の 汐干の磯に 旅寝せし間に 同 北条時頼
象潟や 海人の苫屋の 藻塩草 恨むる事の 絶えずもあるべし 堀河百首 藤原通房
象潟や 今は見る目の かひもなし 昔ながらの 姿なれねば 東遊雑記 古河古松軒
象潟や しばの戸ぼその あけがたに こゑうらぶれて 千鳥なくなり 夫木和歌集 源 仲正
旅衣 ぬれてはここに 象潟の 海士の苫屋に 笠やどりせん 遊覧記 菅江 真澄
象潟や 海士の苫屋の 藻塩くさ 恨むることの 絶えずもある哉 堀河百首 大江 匡房
象潟や 雨に西施が ねぶの花 汐越や 鶴脛ぬれて 海凉し 芭蕉
象潟や 能因どのの 夏の月 象潟や浪の上行く 虫の声 一茶
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何時も不思議に思うのですが芭蕉がここ象潟で唐突に紀元前5世紀の美女を持ち出して来た訳である そして西施と合歓の花の間にどんな整合性があるのか と云う事である 合歓は華やかさは無いが控えめな美女の風合いだ あれほど楽しみにしていた象潟が土砂降りのため無念の芭蕉の気持ちを西施の悲劇と重ね合わせてたのであればスケールが違過ぎる 呉越同舟の例えがあるが呉王夫差に敗れた越王は絶世の美女西施を貢ぎ楊貴妃に溺れた玄宗皇帝の二の舞の作戦に出た。救国の犠牲となった彼女の恨みの心情は松島と比較して恨むが如しに例えられたのだろうか? 会稽山の戦いで越王勾践(こうせん)は囚われの身となるが忠臣范蠡(はんれい)の奮励努力によりついに呉を打ち破り会稽の恥をそぐ史実を思い出します この故事に因む後醍醐天皇救出劇の児島高徳の桜の木に刻んだ十字の詩は有名だ 『天莫空勾践時非無范蠡』(天勾践を空しゅうするなかれ 時に范蠡無きにしも非ず) それにしても博学な彼ではあるが晴天なら上の句は出来なかったかもしれない
固い話は抜きにして私は年上の紀女郎がからかい半分年下の大伴家持へ贈った合歓の花が好きだ
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ 万葉集八巻 紀女郎
因みに合歓(ごうかん)とは中国で男女が共寝する意味するが司馬遼太郎氏は書物『街道を行く』の中で『芭蕉は象潟と云うどこか悲しみを感じさせる水景に西施の凄絶な美しさと憂いを思いそれを合歓の花に託しつつ合歓と云う漢語を使い歴史を動かしたエロティシズムを表現した』と書いている |