楢家の山
みちのくの 楢家の山の こが鳥 かくとしらふの 名に残る雪
大納言政頼卿
このこがね神社に詣で奉ることのできたのが涙のでるほど嬉しく、先ず手を洗い遠方からではあるが幣をとって
かしこしな 夢の教えを みちのくの 小田の黄金の 山やこれなる
菅江真澄
『・・・このみちのくにたくさんある神社の中でその名が最も高く知られた黄金山の神祀ったのはこの森であったろうが、中昔のころ宮を堂に造り替えてここに観音をすえたのであろう。 耕田と言う文字は小田の文字を近世になって書き改めたのであろう。それで、ここに今ふり仰いでいる高峰(八甲田山)は、小田と言う山に違いない。その麓なのでこの神社をこがね神社と言うのであろう・・・』と菅江真澄遊覧記(河出書房新社)の巻3津輕の奥に記されているが、これは万葉集巻18大伴家持の歌『すめろぎの 御世栄えむと 東なる みちのく山に 黄金花咲く』或は『鳥がなく 東のくにの 陸奥の 小田なる山に 黄金ありとは』などと混同しているのではないだろうか。博学の彼が本気で宮城県の黄金山神社と取り違える事はないであろう。 まさか大伴家持が往時青森まで来てはいないのである。『この山には大岳・小岳・よこたたら等八つの峰があり、それでこの土地の人は八耕田(八甲田)といっている』とも書いている。 |