左上下  抑護山清浄院西林寺 守谷市本町
一茶句碑
行く年や 空の名残を 守山で
この句は文化7年(1810)12月23日一茶が西林寺を尋ねた時に詠んだもの 以後9回も西林寺を尋ねたという
梅さくや 平親王の 御月夜や

      
  

   
 海禅寺縁起によれば『寺は承平元年(931)将門が創建し地蔵を本尊とす 将門は妙見菩薩を崇拝しその加護により叔父平国香を討ち果たし関八州をを制して相馬郡に居城を構え平新皇と称し云々・・』とある・
左 海禅寺      守谷市高野
平将門が父の菩提を弔う為に建立した寺 本尊は将門の娘妙藏尼の持仏と伝える その後将門の子孫の下総相馬氏の菩提寺となる 戦国時代以降衰退するが江戸時代の藩主堀田氏が再興し奥州相馬氏も参勤交代の折は参拝した
上 将門と七騎塚 海禅寺境内
8基の石塔は平将門と影武者の七騎の影武者の墓 右端が将門の墓で中央に平親王塔 天慶三??年正月廿有二日とある
右上下 左の墓碑の正面には勝十院殿節岩良忠居士 裏面には元禄三年 相馬小次郎???とある 右の墓碑には裏面に親王四十代後裔相馬小次郎平信胤 正面は判読不可  

 国指定重要文化財文龍禅寺三仏堂 
      取手市米ノ井
三仏堂は延長2年(924)の創建と伝え現存堂宇は正面・側面三間で左右と背面に裳階(もこし)付いていて三方に裳階が付くの形式は他にない室町後期16世紀前半の建築 龍禅寺縁起では将門の創建とも記され更に仁王門・鐘楼も建立し三仏堂の修理もしたされている
 裳階とは風雨から構造物を保護するため本来の屋根の下にもう一重屋根を取り付けたもの


       利根川 Ⅱ