旧谷中村内にある阿弥陀寺の共同墓地跡 遊水地の一部は旧谷中室村保存ゾーンとして役場や神社・墓地・寺あとなどが保存されていて往時の生活臭を感じさせる
伊奈良の沼 Ⅱ                                     
 遊水地の一部 北エントランスから見た第一調節地 他に第二・第三調節地と谷中湖に区分されている 周囲延長30km総面積33K㎡に及びその周囲は栃木県の栃木市・小山市 茨城県の野木町・古河市 埼玉県の加須市 群馬県の板倉町と接していてその広大さが想像出来るでしょう ウインドサーフィンやカヌーの水上スポーツ・ゴルフ場・子供広場あり釣り場あり貸自転車屋もあり当時の悲惨な面影は微塵も見当たらない 鉱毒を沈殿させて浄化する目的の遊水地だろうが今鉱毒の環境上のPPMの問題は消えたのでしょうか?
 谷中村は古来地味肥沃魚貝類の棲息多く自然に恵まれ穀類豊富な平和な農村として繁栄を続ゖていた 明治18年ころより足尾銅山から流れ出る鉱毒が渡良瀬川を汚染し谷中村一帯を害毒をするにおよんだ 全村がその被害を被る事により年毎に毒中に埋没し悲惨な死の沼と化していった 爾来30年に亘り谷中村村民は田中正造翁を先頭に足尾銅山の鉱毒との戦いになって明治37年12月10日栃木県議会は堤防修築を名目に谷中村全村の買収案を強行議決した

    買収金額48万円 堤防内970町歩 堤防外230町歩 戸数387戸 人口2500余人

明治39年7月1日栃木県当局は谷中村議会の反対を無視して谷中村を藤岡町に強制併合した 明治40年6月29日より県当局は堤防内に残留する16戸の住民家屋を強制破壊し住民100余人は雨露に晒される事となた 大正6年2月限り残留民は各町村に移住し田中霊祠は藤岡町に遷宮された 谷中村は名実ともに消滅した (遊水地内にある谷中村遺跡を守る会の説明板)  渡良瀬遊水地は板倉町の北部にある