左 子持山万葉歌碑((高さ130cm・幅45cm・厚さ25cm1860年ごろの建立と云う) 
左中 右歌碑説明板の上方に万葉仮名の歌碑が見える巻14-3479児毛知夜麻 和影喜平留氐能 毛美都麻氐 宿毛等和波毛布 汝波安杼加毛布
ついて説明板には
『楓に事寄せて大胆に愛を投げかけた素朴な表現だが屈託のない明るく健康的な万葉人の心を思わせる相聞歌である』と書いてある 歌の意味は
『子持山の若い楓が紅葉するまでこのままずっと一緒に寝て居たいが貴女はどうですか?』
と中々ストレートで意味深な歌です
 
上 子持神社(子持山中腹)   渋川市 
その名称からか古くから子授かり 安産の守護神として近在の信仰を集める

左上 子持山
(渋川市と沼田市の市境にある) 左下 子持神社参道鳥居奥の山が子持山 
  長尾氏17累代の墓 前の2基の宝篋院塔は長尾氏一族の先祖である鎌倉権五郎景政と長尾氏の元祖景凞と言われている 
上 県指定重要文化財臨済宗空恵寺山門(子持山中腹 和・唐折衷様式 白井城主長尾氏菩提寺 説明板) ) 白井長尾家歴代の菩提寺で当主は関東管領の山内上杉家の家宰や上野国や武蔵国の守護代などを務めていたので繁栄を極めていた