群馬県一級の歌枕 佐野の舟橋
巻14-3420の現代語訳は 上つ毛野の佐野にある舟橋を取り壊して放すように親たちは私たち二人の仲を離すけど私たちは決して離れはしない (訳 万葉集全歌講義 笠間書院) この歌を新編国歌大観(学燈社)全10巻の索引で調べるとなんと佐野の舟橋130首 佐野の渡89首もあるのです 謡曲船橋では川の両岸に住む男女がこの舟橋で逢引を楽しんでいたが二人の両親が猛烈に反対してある夜密かに舟橋を取り壊した 夜それを知らずに渡ろうとした二人が川に流され亡くなったという悲しい伝承の地である
   
左 佐野の舟橋歌碑 右 佐野橋竣工記念碑    右 万葉集巻14−3420歌碑
 歌碑の後ろには 古道佐野の渡 文政丁亥孟冬延養寺良翁識 とありこの歌碑がかって舟橋のあったと伝えられる場所に建てられた事、碑文は文政十年十月新町の住職良翁によって記されたものである事が知れる 舟橋とは小舟を繋いでその上に板を渡して浮橋としたものでここにもかつて舟橋があり多くの歌に詠まれたのです 今佐野の舟橋は流石に小舟ではないが木造の橋で人と自転車と犬と猫だけが通れるとのこと西行も渡ったのでしょう 
 五月雨に 佐野の舟橋 浮きぬれば 乗りてぞ人は さし渡るらん(山家集) と詠んでいる
 
 
清少納言の枕草紙の橋の項には『あさんづの橋 ながらの橋 あまびこの橋 はまなの橋 ひとつ橋 さのの船橋 うたじめの橋 とどろきの橋 おがはの橋 かけ橋 せたの大橋 木曽路の橋 ほりえの橋 かささぎの橋 ゆきあひ橋 をのの浮橋 やますげの橋 一すじわたしたる棚橋 心せばければ名をきくだにおかしうたたねの橋』とあり堂々佐野の船場が載っている
かよひけん 恋路を今の 世がたりに 聞きこそ渡れ さのの船橋  回国雑記 道興准后

                           
ことづてよ 佐野の舟橋 はるかなる よその思ひに 焦がれ渡ると  拾遺愚集  藤原定家