一節に越の中山は  福井県にある千年の古道旧北陸官道である木の芽峠 というのだ
   中山や 越路も月は 命かな   芭蕉
元禄2年 奥の細道の旅の途中加賀での名月の晩 西行の「命なりけり」の東海道の小夜の中山を思い偲んで詠んだという その歌とは
   年たけて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり 小夜の中山  西行
ウイキペディアでは 妙高山は古くは「越の中山」と呼ばれていたが好字二字令により名香山(なかやま)と当て字されそれが『みょうこうさん』と読まれるようになり妙高山の文字が当てられたのである   

  たゆみつる そりのはや緒も つけなくに 積りにけりな 越の白雪  西行
右端赤倉山2141 中妙高山2454 右前山1935  う右端神奈山1909 麓を走るのは新国道18号線で関川の関所跡の旧国道は此の下を通るがカーブの多い旧道である 絶好の晴天でした
妙高山は上信越高原国立公園内にある標高2454mの活火山で越後富士とも呼ばれる日本百名山の秀峰で古くから信仰の対象であった 越後・信濃の国境を巡る攻防は天文22年(1553)に始まる謙信・信玄による川中島合戦を契機に軍事的緊張が高まり永禄年間以降は武田氏の勢力が北信濃にまで及んだことを受けて越後側の痲守が強化された
 
  妙高山の麓の信越国境にあった関川の関所跡地 右側に復元された関所と歴史館がある 旧国道18号線の急こう配