けふぞ知る 河伯と聞けば 君がため 天照る神の 名にこそはあれ 
蜻蛉日記付録?
阿武隈川は丸で出世魚の様な河なのです。安福麻河になったり、逢隈川になったり、阿武隈川になったりと忙しい。宮城県南部亘理町には常磐線に逢隈驛があり、槻木町には逢隈旅館もある。逢隈が日常的なのが阿武隈に馴れてる我々にはちょっと新鮮だ。この大河が間もなく太平洋に注ぐこの辺りは,柴田町付近から逆U字形になりその長い旅を終えるのである。吾妻鏡に『逢隈湊』と呼ばれ,川幅も広く水量も多い1000年以上前の渡しは,大変な危険と苦労があったに違いない。海道(浜街道)を来ればここを越えなければ遠の朝廷の多賀城には着けないのである。その安全と阿武隈川の治水祈願で水神様の延喜式内社として古くから地元はもとより都にも知れわたっていたのでしょう。6号線から県道52号線で槻木に抜ける通称東街道の細い旧道沿いの小山にそれはある。神社の隣に住んでおられる三品祥一氏によると、,神社はその昔この小山から一時数百メートル離れた大河の河川敷に移転されていたと言う。然し度々洪水で流されるので再び現在地に戻したと言う楽しい話をお聞きしました。安全と治水によって古くから信仰を集めてきた神様が度々流されて逃げる話は中々ユーモアのあり人間臭い神様だと思う。いずれにしろ阿武隈川の水の守り神として当地の鹿島三社とともに式内社として大変由緒ある神社である。慶長7年には初代亘理伊達藩主伊達成実が社殿を造営している。(平成18年9月10日)(参考 大日本地名辞書 吉田東伍)
亘理郡亘理町逢隈田沢






 安福麻河伯神社