綾の瀬に 紅葉の錦 立ち重ね 二重に織れる 竜田姫かな              能因法師

綾の瀬・・・・なんと日本的な情緒のある響きだろう。 然も作者が陸奥歌枕のパイオニアのみならず日本歌枕の鑑であるあの能因歌枕の著者 能因法師なのである。彼は左大臣橘諸兄(葛城王)十世の孫にあたるのであるが摂津国古曽部に住んでいたので古曽部入道とも言う。然しこの綾の瀬 所在がはっきりしないのだ。阿武隈川なのか最上川なのか。古典的名著大日本地名辞書(吉田東伍)によると、夫木和歌集に能因法師遊行の際の歌として『陸奥とかわと云う所を 船にのり降る程にあるもの此の渡りを綾の瀬と云ひ侍りける 歌をよみて神に奉る所なりと云へばよみ侍る』『この綾の瀬、 とかわ、今知れず 船を降ろすと云えば、細流に非ざるべし 乃逢隈に附戴す』とある。ところが西行・陸奥の旅(歴史春秋社)と言う本では最上川の項の所に載っているのである。確かに最上川の板敷山北部に大外川と言う地域があり地図には川沿いに紅葉マークまでついているのです。つまり紅葉の名所である事を示しているのです。竜田姫は秋を司る神様である事を考えると最上川に分が有りそうだが 又日本文学史蹟大辞典の地図編(遊子館)と言う本でははっきり阿武隈川の亘理 岩沼の渡りに有る事を示しているのである。外にもこの魅力的な地名はありそうだがここでは写真のある阿武隈川を載せて置きたい。あるとすれば亘理大橋から稲葉の渡しの間であろう。こんな歌枕が人々の心をサスペンドにしてくれるのである
(平成14年8月28日)(参考 小倉百人一首 フェニックス書院 西行・陸奥の旅 歴史春秋社 日本文学史蹟大辞典地図編 遊子館)

綾の瀬


 


参考
龍田姫は紅葉の秋を司る女神で新緑の春霞を司る春の女神は佐保姫です

阿武隈川河口近くにある亘理大橋より上流を望む 1000年以上も前の河口は恐らくその流域の変化が激しく綾の瀬などと優美な風情はなかったかも知れない

こちらは国道6号線の橋より上流稲葉の渡しを望む 河口より8キロ上流にある 東海道(浜街道)沿いであり 右岸にはすぐ東山道が通っていて往来も激しく可能性はこちらにある