朽ちのこる 野田の入江の ひとつばし 心細くも 身ぞふりにける       夫木和歌集 平 政村

せきかくる 野田の入江の 澤水に 氷りて留まる 冬の浮き草       夫木和歌集 藤原為家

もう野田の入り江の風情を今見ることは出来ないのです そもそも野田の入り江はどの辺りかも今となっては推測の域を出ないようである。大日本地名辞書(吉田東伍)によれば多賀城府の南東部の汎名であったろうと書いている。多賀城の東南部にはご存知末の松山と沖の石があります。地図を開くとわかるのですが国道45号線 そして新しくできた県道23号線の南東部の海岸線は人工的直線で勿論埋め立てられたものである事は一目瞭然である。だから海の入り江はこの両道路の近くまで来ていたのは間違いないのです。さらに今の七北田川は仙台宮城野区に流れているがこれは中世以降であり往時は多賀城市新田辺りから真東に流れていて現砂押川と合流して其の流れは七ヶ浜町湊浜に注いでいたのである。歌枕沖の石を見ればわかるようにそこは正に入り江にある石の名ごりであり 更に野田の玉川はその東部で砂押川に注いでいるのを見ると実にこの付近には葭 葦 菅が生い茂っていて心(うら)淋しい入り江に当てはまるのではないでしょうか。写真の中央のマンションの先に木が見えます。これが末の松山で沖の石はその先60mです。するとその近くまで汀がきていたのは事実でしょう。手前の土手が砂押川です。この住宅街を見てそれを信ずる事はもはやむずかしいのです。マンションの管理の奥さん上島さんは『晴れた日なら海の水平線が見えるのに残念ですね』とおっしゃたが本当に残念な低温注意報 沿岸は濃霧注意報の出た梅雨の7月19日であった。一面の入り江も今や一面の住宅街なのである。『ひとつばし』 は野田の玉川の思惑の橋だろうろと云われている(平成15年7月20日)。

 野田の入江