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工事中
仙台市史によるよとこの清水は仙台市太白区越路辺りにあったというが所在不明だ。回国雑記の研究(武蔵野書院)
の中でも 道興が知っている逢坂山の関の清水と同じ名前だったので 都を懐かしみよんだ物だとあり所在不明
だと書いている。此歌を詠んだ道興は修験道山伏の頭領で京都聖護院の門跡であった。彼はその回国修行の旅
の傍ら紀行文書き付けたのです。それが回国雑記です。彼は芭蕉とは逆に都を出発し先ず福井 石川 富山の
北陸から新潟を経由 三国峠を越えて関東 東海一部を歩いて陸奥に向かい松島まで来ている。又大日本地名
辞書(吉田東吾)によると仙台停車場の南で清水小路の名あり。城下荒町田町の間の橋を清水の板橋といひ、昔
は長町の鹿落坂より、広瀬川を渡り此処をへて木下国分寺の原へ出でしとぞ。と書いてある。いずれにせよ市内
のど真ん中になってしまいその所在不明もいたし片が無いが、広瀬川の愛宕橋を挟み南の越路 北の荒町の辺
りにあったのかも知れない。
(平成14年12月4日)
関の清水
あふ坂の 山にはあらぬ 杉村に 立ち寄り関の しみずおぞくむ
道興准后