たのむぞよ あすはの宮に さす柴の しばしが程も 見ねば恋しき
                                     新千載和歌集 法印定為
にはなかの 阿須波の神に 小柴さし 吾は祝はむ かへりくまでに
                                      万葉集 上総国防人歌
わかるれど あすはの神は かへらなん 手向けをつとに 小柴さしつつ
                                               名寄
 
塩釜神社内に志波彦神社が、ここ志波姫町・高清水町には志波姫神社があり共に由緒ある式内社である。この特異な名称の由来は素人の私にはわからない。彦は男の神様 姫は女の神様である事は分かるのですが。然し町名にまでなるのだから「志波」の神は相当に霊験あらたかだったのだろうと思います。大日本地名辞典(吉田東伍)によると「志波」とはこの神を祭るのに、『小柴をさして道の往来を祝ひしによるか、所謂道の辺岐(ふなど)神也』とある。道の『岐神』とはつまり『道祖神』の事でしょう。辞典は又『志波とは、古人の 柴をさして祭れる と言う「阿須波神」なり、即ち道上祭の手向神に外ならず』と書いてあるのです。つまり『志波』とは交通安全の『柴神』・『道祖神』で路上に祭られた神である。古来交通の重要な分岐点や渡河点に位置する神であったのだと言う。では『阿須波神』とは何か?何方か是非教えて頂きたいと思います。所で史記には『祖して道をとる』と原文にある。道祖神の語源は元々『行く』と言う意味の『徂』から来た と言うのと、旅を好み旅で死んだ『累徂』から来たとかはっきりしないのです。道祖神の祭りは道に土を山の形に盛り上げそこに柏の木を挿し込んで神体として祭り、そして祭りが終わると車でその山の形の土と神体を轢いて行く。それが『徂して道をとる』と言いう事なのだそうです。こうしてみると柏の替わりに小柴に置き換えればやはり志波姫神社は旅行く人の安全の守り神 道祖神かも知れない。 この神社古来以前は築館の町裏玄光に鎮座していて伊豆野権現社と称していてたが火災により消滅、明暦3年仙台藩主忠宗が現在地志波姫町八樟に移動した。人皇第45代聖武天皇の神亀天平年間の創建延暦には坂上田村麻呂東征の際には武運長久・五穀豊穣祈願したと言う 栗原七座の一つで明神大社である 尚志波姫町には蝦夷・田村麻呂の伝説が多く壇の松(田村麻呂が物見の兵を置いた所)・将軍壇(田村麻呂が陣地を構え作戦指揮した所)若柳町には夷穴(えぞあな)古墳群等はその為であろう。 高清水町の志波姫神社などは時間がなく行けなかったのが心残りである(参考 志波姫町史 志波姫町)(平成16年5月26日)
町名はこの神社からとられた由緒ある神社 宮城県指定文化財
 

志波姫神社