牡鹿半島の東端にある金華山付近には大小十の嶋があり、是を俗に十嶋と呼ぶところから遠嶋の名が出てたと言うがどうだろうか。所がこの辺鄙な半島故に意外と歴史にかかわっているのです。その一つが『月の浦』と言う小湾である。中世頼朝の御家人葛西清重氏が到着した所から着き(月)の浦と呼ばれるようになったと言う。ご存知1613年支倉常長以下180人がローマ使節団として出発したところである。仙台からかくも遠く離れ陸地からは勿論海上からも殆ど見えず今も僅か数十戸の小さな港が、何故あの派手派手なサン・ファン・バウテスタ号の出航の地に選ばれたのだろうか。然もその建造地が更に遠方の桃生郡雄勝町唐桑なのだ。伊達政宗は西欧貿易で徳川幕府に対抗する為相当隠密裏に建造しそしてひっそりと出航させたのだろう。さらに又半島の付け根に折の浜がある。それこそ山にへばりつく様に僅か十数戸の小さな港である。観光客も殆ど来ない此処にある時突然大艦隊が集結した。榎本武揚率いる「開陽 回天 神速 長鯨 蟠龍 大江」の艦隊である。彼は明治新政府に反対し蝦夷地北海道に行く途中奥羽列藩同盟で新政府に対抗していた東北諸藩に食料や物資の援助をを求め立ち寄ったところなのだ。この様に辺鄙ゆえに牡鹿半島は出る者も入る者もその身を隠すに絶好の地だったのだろう。他に金華山へ向かう金華山道の歴史など数限りない歴史の半島なのです。今回天候不順で金華山に行けなかった。  矢本町にある牡鹿の柵 牡鹿郡家と言われる赤井遺跡 此処を舞台に道嶋嶋足が大活躍をした所である 今も畑から土器がぞくぞく出てくる 私も彼と同じ所に立っている 話を聞いた半沢さんは自分の畑から出た素焼きの壷を持っていた
 

鳴瀬町との境にある滝山の麓にある古墳群 道嶋氏の墳墓と推定されている 大舎人と書かれた須恵器坏も出土している 平成15年6月の大地震のた古墳は入山禁止であるのが残念である

サンファンバウデスタ号
      遠嶋(牡鹿半島) 其の2