月の浦 ご覧のように人家もまばらの小さな湾  ここからひっそりと出奔したに違いない 幕府に隠れての鳴り物入りの出航ではないのです 外人40名・日本人140名によるクルーだったと云う  スペイン人ビスカイノと正宗が江戸で出会った日(1611・6・24)が洗者聖ヨハネの祝祭日だった事からサン・ファン・バウティスタと名付けられた 伊達男に相応しい帆船だ
牡鹿半島県道2号線の傍らにある月の浦公園の支倉常長像と航海碑

月浦を見下ろす支倉常長像 月に行く宇宙飛行士より勇気が必要だった
下左 月の浦遣欧使士支倉六右衛門常長解纜の地の碑 あの東郷平八郎元帥揮毫による 解纜とは友綱を解いて出航する意味である バウティスタ号建造の地は桃生郡雄勝町唐桑で月の浦より北へ数十kmの所にあり徳川幕府に密かに建造されたのです
 
メキシコ大使スペイン人ビスカイノの碑  左奥には南蛮井戸 南蛮小屋と云われるものもある さらに隣村には侍浜の名前の浜もあり 当時この辺りには外国人や航海の為のため多くの侍がやって来た事を物語っている あの華やかな船とは対照的に地味で小さな漁村である 海岸と言より山中と云った方がよい程である
 
サンファンバウティスタ号

遠島 其の4