安 房 峰(を)ろ
安波乎呂能 乎呂田尓於波流 多波美豆良 比可婆奴流奴留 安乎許等奈多延
安房峰(を)ろの 峯(を)ろ田に生はる たまみずら 引かばぬるぬる 吾を言な絶え 万葉集 巻14-3501
『安房の山々の麓の田んぼに生えてるたまみずらを引っ張ったらぬるぬると寄ってきて離れないうように私の側をなれないでおくれ』 万葉集釋注7 集英社 たわみずら(ヒルムシロ・蔓草)とはネットによると池や沼・田に生える多年草で地下茎が縦横に這い そこから水中茎を伸ばし水の中の葉(沈水葉)と水の上の葉(浮水葉)をつける 沈水葉は水の抵抗を受けないように細長く・浮水葉は長楕円形・花の時期は夏で穂状花序を伸ばし黄緑色の小さい花を総状に付けます とあります 安房峰ろとはいわば房総半島の縦断する山々のこと |
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上 貴重な万葉歌碑 鴨川市大海浜 大海フラワーセンター内 現在フラワーセンターは大分前に閉店したので柵が作られ立ち入りが出来ない状況です 歌碑を探すのに苦労した この歌碑の辺りの安房の山々が海浜までせまり荒々しい太平洋は目前です |
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左 切られ与三郎のモデル4代目伊三郎の墓 西福寺 東金市東金1693
4代目芳村伊三郎は江戸長唄の名家でこの寺から南西4kmにある清名幸谷の紺墨の中村家の次男として寛政12年(1800)に生まれた 名を中村大吉と言い長唄に親しみその美声と男ぶりは近所でも評判だった 大吉は長じて木更津の型付職人として腕をみがき年季明けで実家に戻り兄の紺屋の手伝いをしていた 然しねから好きな長唄を唄う為に家から1km程の新堀の茶屋に足繁くかよううちに見初めたのが茂原生まれのきち(お富のモデル)だった 然しきちは近くの堀畑の親分山本源太左衛門のお目かけさんだった 美男美女の噂はすぐに親分の知るところとなり二人は勝手知ったる木更津に逃げます 然し子分に追はれた大吉は切り刻まれむしろにまかれ海に投げ込まれたが奇跡的に漁師に引き上げられ命拾いをした 一方きちは連れ戻され江戸へ売り飛ばされた 後年江戸に出て唄方となった大吉は4代目伊三郎を襲名したが若気の至りで受けた顔から身体中の数十の傷あとが8代目団十郎の目にとまり鶴屋南北の門下三世瀬川如皐にこの二人をモデルに面白おかしく書き上げさせた それがお富・与三郎で知られる『与話情浮名の横櫛』なのである と後ろの案内板には書かれている 歌謡曲お富さんは昭和29年(1958)歌手春日八郎によってリリースされると忽ち120万枚の大ヒット作となり彼の出世作となったのは周知の通りだ 然しここ東金は彼の出生の地であり歌の舞台となるのは木更津市である
墓碑には四代目芳村伊三郎 勇猛院徳翁日進信士 とある 尚この外に木更津の光明寺と品川区に天妙国寺も墓碑がある |
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波を彫ったら日本一 波の伊八 上左 飯縄寺 いすみ市岬町和泉2935-1 鞍馬天狗と大天狗の彫り物 高1m 幅4mの欅の1枚彫り 上右 行元寺 いすみ市萩原2136 画像は葛飾北斎の神奈川沖浪浦に影響を与えた作品 撮影禁止 彼の右に出る者はいないと言われた本名初代武志伊八郎信由 通称波の伊八の作品 |
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上 名曲 童謡月の沙漠発祥の地の御宿海岸と作詞者加藤まさおの像 夷隅郡御宿町六軒町505-1 静岡県藤枝市生まれの彼がここ御宿海岸の月の光に照らされた砂丘に王子と王女の幻想を抱いたに違いない 結局彼は御宿町の最明寺に眠る 月の沙漠は平成元年NHKが行った『ふるさとの歌百選』全国第5位に選ばれた 砂漠に『沙』の字が当てられるのは沙には『すなはま』の意味が込められているからです 御宿の由来は北条時頼がこの地に宿泊した折に詠んだ『御宿せし そのときよりと 人と問はば 網代の海に 夕暮れの松』に依る 下 日・西・墨三国交通発祥記念碑 夷隅郡御宿町岩和田702 御宿はスペイン領フィリピン総督ドン・ロドリゴを載せた帆船サンフランシシコ号が慶長14年(1609)台風で岩田海岸に座礁遭難した地である 右端が上陸地点 左端 ロペス メキシコ大統領来訪記念(昭和53年)と其の背後の塔は日・西・墨三国交通発祥記念碑(昭和3年) |
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南房総国定公園野島崎 野島埼灯台と房総半島最南端の碑(上右端) 南房総市白浜町白浜630 この灯台は慶応2年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四ヶ国と結んだ 『江戸条約』によって建設を約束された八つの灯台の一つ 野島埼は東京湾に出港する船舶に とって江戸時代から重要視されてきた 明治2年1月1日にー番最初に点灯した対岸の観音崎灯台に呼応して明治2年1月10日木造四角櫓型の仮灯台を点灯12月18日に完成した2番目点灯した灯台 ここは朝日と夕日が見える南房総絶景ポイントである 又南総里見八犬伝で知られる里見氏初代里見義実の上陸地である 彼は三浦半島での結城の合戦で破れ1441年に白浜野島崎に上陸し居城 安房の国の安西氏・神余氏・丸氏・東条氏を破り安房を統一した人物
東路の 野崎が島の はま風に 吾がひも結し 妹が顔のみ 面影にみゆ 千載和歌集 右京太夫顕輔 |
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上左 野島崎灯台 上中・右 青木繁 海の幸記念碑 館山市布良 青木繁は日本初の国重要文化財に指定された西洋画『海の幸』の作者 28才で他界 彼の残した不朽の名作『海の幸』がここ館山の布良(めら)で描かれた 我々の世代の中学校時代のテキストにも載っていました 房総半島の突端で背後に安房峰が迫る
あま小舟 見えつかくれつ 朝あけの 野島が崎の 霧のむらむら 回国雑記 聖護院門跡准后道興 |
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上左 館山市布良 海の幸記念碑からの太平洋 上右 館山市館山 城山公園からの太平洋 中央奥に富士山
いほりさす 野島が崎の 浜風に すすきおしなみ 雪は降りきぬ 藤原 家隆 |
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上左端 里見城跡の碑 その左に何故か里見の千力猿の像 上中左 小高喜郎作里見節詩碑 里見氏の武勇と里見八犬伝のロマンを歌い上げた民謡 上中右 館山城 上右端 里見安房守忠義公殉死八遺臣の碑 徳川家康により10代里見忠義は伯耆の国に改易 その地も取り上げられて29才で病死し里見家は断絶しその時8人の家臣が殉死した(八遺臣) 分骨されて房総に埋葬供養されたのか? どの戒名にも頭と中間に『心』 『賢』の文字が彫られている 場所は城山公園の南側の谷間で暗くわかりにくいところ 曲亭(滝沢)馬琴作の冒険ファンタジー南総里見八犬伝のモデルになった 登場人物は犬塚信乃・犬川荘助・犬山道節・犬飼現八・犬田小文吾・犬江親兵衛・犬坂毛野・犬村大角の八犬士 下 八遺臣の墓 全員賢のつく戒名から八賢士とも
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上 安房峰ろの山中・八犬伝の本丸 滝田城 南房総市上滝田123 里見八犬伝発祥の城 滝田城の由来と説明 下 滝田城址と犬の八房(やつふさ)に乗った伏姫の像 |
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