阿 (アズ) 須 

安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流
あずの上に 駒を繋ぎて 危ほかど 人妻子ろを 息に吾がする         万葉集巻143539
崩れた崖に馬を繋げば危ないように 危ないが他人の妻になったあの女に命を賭けている

安受倍可良 古麻<能>由胡能須 安也波刀文 比<登>豆麻古呂乎 麻由可西良布母
あずへから 駒の行(ゆ)ごのす 危(あや)はとも 人妻子ろを まゆかせらふも   万葉集巻14-3541
崩れた崖の上を行く馬のように危険でも他人の妻のあの人に見てる岳ではいられない

危うい恋は今も昔も時代が如何に移ろうとも甘い蜜の味がするらしい 何とも人間くさい歌ではないでしょうか
阿須(アズ 安受という言葉は地名用語語源辞典によると崩れた岸や崖を意味していると言う 平安時代に編まれた新撰字鏡に『崩がけ也、久豆礼又阿須』とある   長崎県下県郡厳原町に阿須の地名がありそこに阿須川が流れて阿須湾に注いでいる 沖縄本島の北端に阿須森も崖状の岩山であるからアズを意味すると思われる 長崎県北松浦郡にある的地(あずち)大島小豆浦(あずら)と言うところがある アズチのアズもアズラのアズも崩れた海岸である アズはアズキに転じ瀬戸内海の小豆島も古代はアズキ島と呼ばれていた ショウド呼ばれるのは中世以降である この他長崎諫早市には小豆(アズ)崎がある 飯能市にも阿須の住所があった 上の歌の現代語訳も阿須の意味もネットより拝借した 私も阿須が崩れた岸や崖を意味するとは初耳だ 
 上左 入間川上流の阿須の地  背景の丘陵地帯左端に崩壊の跡が見える     上右 万葉集巻14-3539の歌碑 背後は阿須運動公園のテニス場で後ろに入間川が流れている
 
上 万葉集巻14-3539の歌碑 万葉仮名と現代語で彫られている 
    
上右端と左端 阿須万葉歌碑建立事情の碑 万葉集の東歌二首に歌われている安受(阿須)は後方の崖である 前方に入間川また遠く山並みを見る景勝の地である 万葉の詩心が永く受け継がれることを願い歌碑を建立した とある 飯能市大字阿須698に駿河台大学がある 駿河台と言えば千代田区神田駿河台にあるとばかり思っていた