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上左 千葉野の万葉歌碑 千葉市中央区1-12 万葉集全唄講義10 笠間書院によると千葉郡は旧下総の郡名で今の千葉市・習志野市・八千代市一帯をさす 歌の意味は 千葉の野の児手柏のようにまだ蕾のままでやたら可愛いのでそのままにしてはるばる遠くまでやってきた ということでしょう 作者の大田部足人は千葉郡の防人で筑紫へ向かう途中まだ若いので言い交わしただけで置いてきた恋人のことを思っているのでしょうか。 市内のど真ん中の千葉中央公園内にある
上中 千葉神社 千葉市中央区院内1-16-1 千葉氏の祖平良文が妙見尊星王を崇敬して以来千葉家では代々守護神として熱烈信仰され現在地には三代忠常により文例が祀られ忠常次男覚算大僧正により大伽藍が整備された 平将門を祖とする千葉氏だけに守護神である妙見菩薩を本尊とする千葉妙見宮として建立された 千葉常胤の案内では源頼朝も参拝している
上左 児手柏 現在も庭の垣根等でよく見かける常緑針葉高木で枝は密に出て直立し枝葉の表裏の区別がない 枝が直立する姿が子供が手を揚げる姿に似てることからコノテカシワの名がある 日本ではこんもり丸みを帯びた小低木園芸品種のセンジュ(千手)が広く普及している (ウイキペディア)
左 芭蕉句碑 神社境内 妙見様に因んで詠まれた句という
うらやまし 浮世の花の 山桜 芭蕉
海はれて 動かぬ星や 秋の空 完来 文政元年寅年建立(1818)
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