姨 捨 山・更科・田毎の月
年老いた親を山に捨てる 日本にはそんな姨捨ての習慣があったという その舞台として最も有力視されているのが信濃国 長野県千曲市にある冠着(かむりき)山である 別名姥捨山として知られている またこの地更科は月の名所としても名高く 更科紀行で芭蕉も「更科の里 姨捨て山の月見ん事 しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて ともに風雲の情くるはすものまた一人越人といふ」と前置きして (おもかげ) おば)ひとり泣く 月のとも十六夜も まだ更科の 郡哉 と詠んでいる あの秀吉も『信濃更科 陸奥雄島 それにも勝る京都伏見江』日本三大名月の地とした ひねくれ一茶は『姨捨てた 奴もあれ見よ 草の露』 『姨捨し 国に入りけり 秋の風』と詠んでいる        
                      
わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨捨山に 照る月を見て          読み人知れず 古今和歌集
今宵われ 姨捨山の 麓にて 月待ち侘ぶと 誰か知るべき               前大僧正覚忠
あやしくも 慰めがたき 心かな 姨捨山の 月を見なくに             小町集  小野小町
更科や 昔の月の 光かは ただ秋風ぞ 姨捨の山                      藤原定家
月もいでて やみに暮れたる 姨捨に なにとて今宵 たづね来つらむ       更科日記 藤原孝標女
君が行く 処ときけば 月見つつ 姨捨山ぞ 恋しかるべき                  紀貫之
月かげは あかず見るとも 更科の 山の麓に 長居すな君              拾遺和歌集  紀貫之
隈もなき 月の光を ながむれば まず姨捨の 山ぞ恋しき           山家集     西行
更科や 姥捨山の 高嶺より 嵐を分けて いずる月影                        藤原 家隆