岩舟町円仁生誕の誕生寺跡とライシャワー駐日大使の言葉の碑  壬生町では町中に紫雲寺の立派なお寺の地で誕生したと主張している  岩舟町は下津原手洗窪の三毳山の麓の人気のない所にささやかなお社(誕生寺跡)があるだけです どちらも一歩も引かないようだ
下左 誕生寺と慈覚大師の像 岩舟町     下右 誕生寺産湯の井 岩舟町
       三毳山 U
下 紫雲寺 米国ライシャワー駐日大使参拝記念碑
 石碑には世界史的偉人 慈覚大師生誕の地 Jikaku Daishi Great World Citizn  Edwin O Reischauer augast15 1973 と彫られている 彼は平安時代随一の学僧であり日本天台宗興隆の一大貢献者である慈覚大師は名を円仁といい延暦13年(794)の秋ここで誕生した 生家の壬生家は崇神天皇第一皇子の豊城入彦命の子孫といわれるこの地の名族であった この井戸の水で産湯を使われあ伝えていて地名は往時盥窪と言われていた 現在は手洗窪である(岩舟教育委員会説明板) 円仁研究家でもあるライシャワー氏は講談社から円仁唐代中国への旅を出版している  はたしてどちらが本との生誕の地か今も論争が続いてる 
 
壬生町紫雲寺 慈覚大師御産湯井
下左 端慈覚大師円仁生誕地論争の地紫雲寺山門 壬生町では町中の紫雲寺の立派なお寺の地で誕生したと主張している  岩舟町は下津原手洗窪の三毳山の麓の人気のない所にささやかなお社(誕生寺)があるだけです どちらも一歩も引かないようだ
下右 慈覚大師を祀る大師堂 紫雲寺 壬生町