夏山の句碑 夏山に 足駄を拝む 首途哉
 
芭蕉が陸奥に入る前に14日も逗留した黒羽城跡の浄法寺高勝(桃雪)宅跡の下にある 石碑の句の前には芭蕉が奥の細道で黒羽に入ったイントロの文章がが彫られている

 芭蕉の館前の芭蕉と曾良の像               
 

左側の古い碑 芦野町旧陸羽街道沿いに明治時代の追分道標がる 右 越堀・鍋掛を経て大田原に至る 左 白坂を経て白河に至る とある 
右側の新しいい白い小さい石碑は芦野町道路元標





遊行柳 W

   重ねとは 八重撫子の 名なるべし 
田舎者の農夫といえど人情深くて那須野が原は道がやたらに交叉しているので迷わぬ様に野飼の馬を貸してくれた すると小娘がその後を追ってきた 名前を聞くと「かさね」と可愛らしい聞き慣れぬ名前だったのでしたためた句である 真にほのぼのとした場面である (参考 おくのほそ道 轄u談社)
 
上 雲巌寺芭蕉句碑
奥の細道の中に雲巌寺について「当国雲巌寺の奥に仏頂和尚山居の跡あり
 『堅横の 五尺にたらぬ 草の庵
  むすぶもくやし 雨なかりせば

 と松の炭して岩に書付侍り』といつぞや聞こえ給ふ その跡みんと雲巌寺に杖を曳けば人々すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打ちさはぎて、おぼえず彼の梺に至る。山はおくあるけしきにて、谷道はるかに松杉黒く苔したゝりて卯月の天今猶寒し 十景尽くる所橋を渡って山門に至る さて、かの跡はいづくのほどにやと後ろの山によちのぼれば石上の小庵岩窟にむすびかけたり 妙禅師の死関・法雲法師の石室を見るがごとし 
    木啄も 庵はやぶらず 夏木立 
と とりあへぬ一句を柱に残し侍りし』 とある(参考 奥の細道 轄u談社)


  下野国最北の泉田の一里塚 ここを過ぎれば間もなく陸奥の入口白河との境にある境の明神である
  東山雲巌寺 ・・・橋を渡って山門に至る
栃木県那須郡黒羽町字雲巌寺(町から東方三里の地)にある臨済宗妙心派の禅寺 山号は東山