有  磯  海
富山房発行による吉田東伍著の 北国 によると『・・・岸には夫婦岩其他奇岩磊々として起伏し字岩崎と称する処は山脚海中に斗出し岩石其金塊に散布し北は遙かに能登の諸山を相望み景色頗る佳なり』とある 又ネット上には『有磯海は北陸を代表する名勝だ しかし本来実在しない海なのだ 元々の出所は家持の下の歌による

かからむと かねて知りせば 越の海の 有磯の波も みせましものを      万葉集 巻17-3959
天平18年秋越中に赴任して間もない少壮の国守であった家持に都から弟の訃報を受け取った つまり悲嘆に暮れて詠んだ歌なのです 『こんなことになると知ったらこの越の海の荒磯に寄せる波を見せたかった』と 痛恨の情の歌である 原文は安利穌で元々は荒い磯の意味ではなく現石(アライソ)の意味なのだ 浜から海中にかけて露出している岩が多かったことに由来しその奇岩怪石の風情が景勝の地となったようである 勿論現在は海水の浸食でその数は少ない 日本の渚100選 日本の水浴場88選 日本の白砂青松100選 国定公園雨晴海岸 世界で最も美しい湾クラブ会員

わが恋は 有磯の海の 風をいたみ 頻りに寄する 波の間もなし       新古今和歌集 伊勢
わが恋は よむとも尽きじ 有磯海の 浜の真砂は よみつくすとも       古今和歌集 仮名序
有磯海の 浜の真砂と 頼めしは 忘るる事の 数にぞありける      古今和歌集 読み人知れず
有磯海の 浜にはあらぬ 庭にても 数知られねば 忘れてぞ積む              伊勢集
我れ思ふ 人も忘るな 有磯海 浦吹く風の やむときも無し         後撰和歌集 勺子内親王
 ありそ海の 浦とたのめし 名残り波 うち寄せてくる 忘れ貝かな      拾遺和歌集 読み人知れず
人知れぬ 思ひありその 浦風に 波の寄るこそ 言はまほけれ         金葉和歌集 藤原俊忠
いかにせむ 思ひありその 忘れ貝 かひも渚に 波よする袖              後鳥羽院御集
有磯海の 浦吹く風に あらねども 止むときもなく ものをこそ思へ       拾玉和歌集  慈円
有磯海の 浦吹く風も よわれかし 言ひしままなる 波の音かわ         新葉和歌集 宗尊親王
渋谿の 崎のありそに 寄する波 いやしくしくに 古へ思ほゆ      万葉集巻17-3986 大伴家持
おろかにそ 我は思ひし 乎布の浦の ありそのめぐり 見れど飽かずけり    万葉集まき18-4049 田邊福麻呂 
馬なめて いざうち行かな 渋谿の 清き磯廻みに 寄する浪見に     万葉集巻17-3954 大伴家持
渋谿を さして我行く 此の浜に 月夜あきてむ 馬しまし停め      万葉集巻19-4206 大伴家持
早稲の香や 分け入る右ハ 有磯海                        奥の細道  芭蕉
 
  国定公園 雨晴公園からの立山連峰の有磯海 富山観光推進機構 これはプロが撮影したもの 条件が整えば素人でも撮れると言うが中々難しい このときは薄曇の霞がかりで立山は見えず最悪の条件だったので拝借した 富山県と富山湾のシンボル ここが家持お気に入りの渋谿の崎だ  右端の松の木の岩が義経岩 画像の中央が女岩 松の奥に見える小さ岩が男岩 これらの小島が夫婦岩と言いこれらを含めて国指定名勝である 右 家持と芭蕉の歌碑と句碑 blog・goo・ne・jpより拝借 この歌碑と句碑を見逃したのは痛かった 義経岩の裏側にあったと言う  尚 世界広しといえど海上から3000m級の山々が見えるのはイタリアベネチアからのアルプス山脈・チリパリパライソ市からのアンデスの屋根・そしてここ雨晴海岸の立山連峰だけです これを絶景と言わずなんと言おうか!
 
右端 義経岩 高岡市太田28 鎌倉幕府の追捕をうけた義経主従が奥州平泉へ落ち延びる途中突如のにわか雨にあい晴れるまでの間雨宿りした岩 そこから此の海岸を雨晴し海岸となった  中 JR氷見線 この日は御覧のように残念ながら立山は見えませんでした 此の近くに道の駅雨晴海岸 JR雨晴駅がある 右端 松田江の長浜 氷見市窪 富山県下一の海水浴場 雨晴海岸から3きmに及ぶ砂浜 ここからも立山連峰が見渡せる絶景だがこれは能登半島方面をみたもの 防風林の松の木が延々と続き白砂青松で家持絶賛の地だ 
左端 万葉故地 麻都太要能奈我波麻野の碑 氷見市柳田浜畑 氷見海浜植物園内 中 松田江の長浜の説明板 万葉集巻17-3991や巻17-4011に詠まれている 然し長歌のためここには書ききれない  右端 国指定重要文化財 武田家住宅 高岡市太田4258−1 松田江の長浜の近くの山際に武田信玄の弟である武田逍遥軒信綱の末裔の住宅がある ここ旧大田村の肝煎りを務めた豪農である 武田家と姻戚関係にあった本願寺の縁で越中伏木の本願寺派興勝寺を頼ったようだ  時間が無く中には入らなかったが由緒を物語る古文書や古地図・収蔵品があるようだ 興勝寺の余材で建築されたというだけあり画像で見ると柱や張りの太さは十分でしっかりしている 3千坪誇る敷地を有する 下 松田江の長浜 左 6月私が立山連峰の有磯海を撮影しに氷見へ行ったときは霞と言おうか霧と言おうか誠に残念な陽気でした その素晴らしさを知っていただくためにプロの画像を拝借した 右 はTHE GATE 日本観光マガジンより拝借したもの 素晴らしいアングルでしょう
 
 もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒磯に寄する 渋谿の 崎に廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行かく行き 見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮き据ゑて 沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば 渚には あじ群騒ぎ 島廻には 小末花咲き ここばくも 見のさやけきか 玉櫛笥 二上山に 延ぶ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今見るごと 大伴家持長歌 万葉集巻17-3991
 上左 比美乃江公園 氷見市北大町 公園内にある荒磯の海から望んだ立山連峰の説明板 手前の島が唐島    上右が当日の画像 誠に残念でした 世界一美しい富山湾として面目躍如です 
下左 比美乃江公園                                   下右 比美乃江大橋 上庄川 氷見市中央町
 
  突然で場違いに見えますが氷見市は漫画家藤子不二雄Aが生まれた故郷です 市は彼の漫画で町興しをしていました 藤子不二雄ロードには彼の漫画のキャラクターが至る所に置いて有ります  下左端 幸福を呼ぶ鐘 比美江公園内 下中左 氷見市市場食堂 氷見の寒ブリは有名ですが6月です  粗壁の剥き出しのコンクリートに異様な文字に これが食堂? と一瞬驚くも中は混んでいた 下右中 980円の定食です  下右端 藤子不二雄Aの実家 加賀前田藩縁の曹洞宗光善寺です 入り口にはこのような石の漫画キャラクター像が立っていました
上右端 阿尾城跡碑・榊葉乎布神社入り口鳥居  氷見市阿尾 伝聞では大伴家持の勧進によるとあるが詳細は不詳 上中左 上中右 鳥居の下にある石碑 右が拡大した文字だが小さくて読めな きっと由緒ある文言かも知れないので載せた 上右端 参道.にある家持万葉歌碑 英遠の浦に 寄せる白波 いや増しに 立ちしき寄せ木 東風をいたみかも  巻18-4093  ここについては阿尾・英遠・乎布等の文字が見えるが同じ呼び名なのか?何時も疑問です
 
 阿尾城跡からの有磯海(阿尾の浦・英遠の浦)    残念ながら上左は当日の薄曇りの霞の状態  上右は氷見市総務課の画像拝借  遙か二上山・唐島なども見える
乎布の崎 漕ぐ廻り ひねもすに 見とも飽くべき 浦にあらなくに  大伴家持 万葉集巻18-4037
 上左 阿尾城のある突端(乎布の崎) 阿尾の浦城ヶ崎と立山連峰  氷見市阿尾  北陸信越観光ナビより拝借 絶景です 上中・右端 阿尾城の北部にある灘浦海岸藪田地区に万葉の時代より伝わる幻の仙女・垂姫伝説がある 垂姫の 浦をこぐ舟 梶間にも 奈良の我が家を 忘れて思へや  大伴家持 万葉集巻18-4049 垂姫の 浦を漕ぎつつ 今日の日は 楽しく遊べ 言ひ継ぎにせむ 万葉集巻18-4047  遊行女婦 士師  神さぶる 垂姫の崎 漕ぎ廻り 見れども飽かず いかに我せむ 田辺福麻呂 万葉集巻18-4046 ここから300mほど山地に入った所に垂姫神社もある 時間の関係で訪問できず
上左端 立山連峰のモニュメント 垂姫伝説の藪田地区から見える立山連峰の絶景をイメージした 上中左 浅野総一郎の九転十起の像  嘉永元年(1848)ここ氷見市藪田村で生まれ後年日本セメント王・京浜工業地帯の礎を作った男として知られる 地元では挫折を繰り返しながら23才で東京へ出る 様々な商売をしながら渋沢栄一や・富山出身の安田善次郎(安田財閥の創業者)等の知遇を得て官営の深川セメントを払い受け浅野セメントを創業(後年浅野財閥)した その後順調に日本資本主義の土台をなし生涯に100近い企業の創業に関与したと伝える 上中右 座右の銘の黒石・白石 が像の廻りに敷き詰めてある 黒石は苦労と勤勉の暁に夢が叶う 白石は度胸と努力の暁に夢が叶う とある 上右端 夢を掴んだ黄金の左手 とある 人生の夢を掴むために邁進した結果この手で自分の夢を掴みました とある 銅像の左手同じ大きさだ 尚横浜にある浅野中高一貫学校は彼の創立で現在も東大に毎年40名前後が入学する名門だ