布勢の水海・布勢の丸山田子(多胡)の藤波神社

芭蕉はその著書奥の細道の中で『・・・奈呉と云う浦に出づ 田子の藤波は春ならずとも初秋の哀れとふべきものをと人に尋ぬれば是より五里いそ伝ひしてむかふの山陰にいり蜑の苫ぶきかすかなれば蘆の一夜の宿貸す者あるまじといひおどされて加賀の国に入る・・・』とあり 本当は 藤の花で有名な藤波神社や布勢の海などを見に行きたかったが行ってもあばら屋しかなく宿を取るような家はないよ と脅かされ後ろ髪を引かれる思いで寄らずに加賀国に向った所


田子の浦の 底さへにほへ 藤波を かざして行かむ 見ぬひとのため       万葉集巻19-4200 大伴家持
藤波の 影なす海の 底淸み 沈着石をも 珠とそわがみる             万葉集巻19-4199  大伴家持
いささかに 思いて来しを 多胡の浦に 咲ける藤見て 一夜経ぬべし   万葉集巻19-4201 判官久米朝臣廣縄
藤波を 借庵につくり 浦廻みする 人とは知らに 海人とか見ら    万葉集巻19-4202  判官久米朝臣廣縄  
布勢の水海は現在は干拓され陸地で総て水稲栽培地となっていて全くその俤はない  わかり憎いところなので下の画像を参考にのせた 松田江の長浜の沖一帯が歌枕で有名な有磯海です
天平2年(748)3月24日奈良の都から使者として越中に来た田邊史福磨路の歓迎の宴の席上で家持が明日は越中の名勝布勢の水海へ案内しますと誘われた史福路は期待を膨らませて
藤波の 咲き行くみれば ほととぎす 鳴くべき時に 近づきにけり
          田邊福麻呂万葉集巻18-4042
と詠んだ  すると家持はそれに応えて
明日の日の 布勢の浦への 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも       大伴家持 万葉集巻18-4043
と詠んだ歌を返したのです

 布勢の海の 沖つ白波  あり通いひ いや年のはに 見つつ偲はむ           大伴家持 万葉集巻17-3992
 布勢の海や 春深からし 垂姫の  霞の袖も おもがくしせり                    村田春海 うけらが花
藤波の 花の盛りに かくしこそ 浦漕ぎ廻つつ 年に偲なめ              大伴家持 万葉集巻19-4188
多胡の崎 木の暗茂にほととぎす 来鳴き響めば はだ恋ひめやも        大伴家持 万葉集巻18-4051 
・・・麻都太江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち・・・・             大伴家持 万葉集巻17-3991    長歌
英遠(阿尾)の浦 寄せる白波 いや増して 立ちしき寄せ来 あゆを疾みか         大伴家持 万葉集巻18-4093 
渋谿の 崎の荒磯に 寄する波 いやしくしくに いにしえ思ほゆ           大伴家持  万葉集巻17-3986
       
左端 万葉布勢の水海之跡の碑(すさまじきものより借用) 氷見市十二町 十二町潟公園内 中 布勢の水海遊覧する賦一首 併せて短歌   ・・・見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮けすゑて 沖辺漕ぎ・・・ 長歌  布勢の海の 沖つ白波 あり通ひ いや年のはに  みつつ偲はむ  右端 万葉の多胡の崎の碑 氷見市宮田506 hatenablog ネットより
 
上の画像は最近の布勢の水海の名残の姿 大伴家持等はここで舟に乗って遊覧してその絶景を楽しんだ俤は当たり前だがもはやありません  右の二つは県立氷見高等學校内にある万葉歌碑 氷見市幸町17−1  真ん中の布勢の海の支柱の奥には実際に池が掘られていて布勢の海をイメージしている  右端には 藤波の 影なす海の 底清み 沈着く石をも 珠とぞわが見る   とあり学生が卒業記念に書いて立てられた万葉和歌の柱や石碑が十数本あった
 
 左 布勢の丸山 氷見市布施1826 布勢の水海の小島が崎が先と呼ばれた この稻穗の波が古代は湖水ののさざ波でした  田園地帯にある小さな小山が布勢の円山で下の布勢神社が鎮座している 大伴家持が越中国に国守として赴任していた天平18年(746年)〜天平勝宝3年(751)には一帯は布勢の水海という海でそのなかに浮かぶ島が布勢の円山だった  右 丸山の説明板
   
左端 延喜式内社布勢神社 四道将軍の一人として北陸道から日本海沿岸を遠征し布勢氏の祖と伝えられる大彦命を祀る布施神社  中左 明日の日の 布勢の浦への 藤波に けだし来鳴かず 散らしてむかも  中右 大伴家持後遊覧之地碑 実はこの石碑は享和2年(1802)建立で富山県内にある万葉歌碑で現存する最古の碑 この歌は越中三賦のひとつで「布勢の水海」を遊覧する情景を詠んだ歌   左端 丸山山頂にある説明板
 左端 大伴家持卿歌碑の碑  中 左の歌碑の説明 正面 大伴家持卿歌碑 正四位勲三等巌谷修謹題 とあり 右側面には万葉仮名で 藤波の 影なす海の 底淸み 沈着石をも 珠とそわがみる とあり 裏面には此天平中越中守大伴宿禰家持卿所詠 東宮侍従四位本居豊頴書 とある  右端 藤波神 家持は布勢の海を遊覧し舟を泊めて多胡の浦で藤の花を望んで詠んだ歌 布勢の海の景観の中でも特に多胡の浦の藤の花が心を引きつけたと思われる
 
 上左 創建不明の旧御影社(創楽より拝借 日本最古の家持をお祀りする神社と言われる 上中 現在の御影社(world orgsより拝借) 家持生誕1200年(昭和60年)に新築された この布勢神社本殿の裏に有り目立たない 特に当日は曇天で早朝午前7時前に訪れたので森林に囲まれ薄暗く 家持の神社とは気付かなかった 残念でした  上右 国泰寺大伴家持歌碑 高岡市太田184   多胡の崎 木の暗茂に ほととぎす 来鳴き響めば はだ恋ひめやも