二 上 山

吉田東伍の大日本地名辞書には 伏木の西一里高三百米突に満たざる一峰なり 形状秀麗 その西方四五里に山嶺連亘し宝達山に至る とある

 射水川 い行き巡れる 玉くしげ 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放(さ)け見れば 神(かむ)からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統(す)め神の 裾廻(すそみ)の山の 渋谿の 崎の荒磯に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく 古ゆ 今の現に かくしこそ 見る人ごとに かけてしのはめ
玉くしげ=枕詞 そこば=はなはだし 統め神=一定の地域を支配する神く
 にほう=鮮やかに色づく    大伴家持 万葉集巻17-3985

訳 sanukiya.exblog.jpより
射水川が流れてめぐる あの美しい二上山は 春の花の満開のとき 秋の紅葉の照り映えるとき 出で立ちはるかに仰いで見れば 神そのものの品格ゆえに とても貴く思うのか 山としての風情がよくて 見ていたいと願うのか この地を治める神の山裾 渋谷の崎の荒磯に 朝凪のとき寄せる白波 夕凪のとき満ちて来る潮 そんな波や潮のように ますます盛んに絶えることなく 大昔から今のいままで このようにして見る人すべて 心に懸けて称えるだろう

玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり              大伴家持 万葉集 巻17-3987
渋谿の 二上山に鷲そ 子産(じ)といふ さしはにも 君がみために  鷲そ子生(む)といふ 作者未詳 越中国の歌巻16-3882
二上の 峰の上の茂に 隠りにし その霍公鳥 待てど来鳴くかず                 大伴家持 万葉集巻19-4239
 
 国定公園二上山万葉ラインからの富山市街と富山湾
 
 二上山万葉ライン山頂の家持像の隣にある
二上の をてもこのもに 網さして 我が待つ鷹を 夢に告げつも    大伴家持 万葉集巻17-4013
 
左 大伴家持卿像 高岡市城光寺 二上山万葉公園 二上山山頂から富山市街を見下ろしている 746年から越中国主として赴任した大伴家持は在任の5年間自然と人情に恵まれ220余首もの歌を詠みました 奈良の二上山と同じ名前の山が国庁のすぐ近くにあることに感激し二上山を特別の思いを込めて歌に詠んでいる  右 万葉ライン守山城跡からの富山市内
             二上の 山に隠れる 霍公鳥 今も鳴かぬか 君に聞かせむ      作者不明 万葉集巻18-4067
 
左 二上山標高274mと小矢部川 高岡観光協会ネットより 古代から神の山として崇められふもとを流れる小矢部川とともに今も市民の心のふるさと 眺望もすばらしく能登半島・立山連峰が一望できる 右 二上山の賦一首の碑 高岡市万葉歴史館前  高岡市伏木一宮1-11-11 巻17-3985 二上山公園は能登半島国定公園の一部となっている 
越中の風土の中で 国守の居館は二上山を背に射水川に臨む高台にあり奈呉海・三島野・石瀬野をへだてて立山連峰を望むことができます また北西には渋谿の崎や布勢の水海・有磯海など変化に富んだ遊覧の地があります 家持はこの越中の四季折々の風物に触発されて独自の歌風を育んで行きました 『万葉集』と王朝和歌との過渡期に位置する歌人として高く評価される大伴家持の歌風は越中国在任中に生まれたのです 高岡市万葉記念館より