五 幡 ・ 帰 山

敦賀湾北部の越前町の海岸にある 古来この地付近から鹿蒜(帰へる)へと山を越え(木ノ芽峠か愛発関)をしたようだ このルートは都と越路を隔てる最大の難関の地であった そのために旅人にとっては忘れられない所となったのでしょう あの清少納言も枕草子の中の山の項では『山は いつはた山 かへる山』と記している事でもその難儀な知名度は知れ渡っていたのでしょうね  いつはた帰る を連想させる事を示している

かへるみの 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ われをし思はば       万葉集巻18-4055  大伴家持
君をのみ いつはたと思ふ 越なれば 往路は来の 遙けからじを          後撰和歌集 読み人知れず
忘れなむ 世にも越路の 帰山 いつはた人に 逢はむとすらむ              新古今和歌集  伊勢
かきくらし 越のかた道 ふる雪に いつはた山を 思ひこそやれ             夫木和歌集  藤原載綱
ゆき巡り 誰も都に かへる山 いつはたと聞く  程のはるかき                紫式部集  紫式部
かならずと 還りこむ日を 契らなば いつはた山の いつとか待たむ          あづま歌集  加藤枝直
かへる山 ありとは聞けど 春霞 立ち別れなば こひしかるべき                 古今和歌集 紀 利貞
白雪の 八重ふりしきる 帰山 かへるがへるも 老いにけるかな                古今和歌集 在原棟梁
   あかずして 帰るみ山の 白雪は 道もなきまで うづもれにけり             続後撰和歌集  左近大将朝光  
ともすれば 跡たえぬべき 帰る山 越路の雪は さぞ積もるらむ                  読み人知れず  
いかばかり 深き中とて 帰る山 かさなる雪を とへとまつらむ                     藤原定家    
越えかねて いまぞ越路を 帰る山  雪降る時の 名にこそありけれ            千載和歌集 源 頼政           
帰る山  名にぞありて あるかひは 来てもとまらぬ 名にこそありけれ        古今和歌集 凡河内躬恒