熊 木(来) 川 

香嶋より 熊木をさして 漕ぐ船の 梶とる間なく 京師(みやこ)しおもほゆ  万葉集巻17-4027 大伴家持

梯立の 熊来のやらに 新羅斧 墜し入れ わし 懸げて懸げて 勿泣かしそね 浮き出づるやと 見む わし  巻16-3878
梯立の 熊来酒屋に まぬらぬ奴 わし さすひ立て率て来なましを まぬらぬ奴 わ                   巻16-3879
上2つの歌は能登国の民謡歌らしい 日本海に突き出た能登半島は対岸の朝鮮半島から多くの人と文化が渡来して古代朝鮮の先進文化を直接吸収した独特の渡来文化を形成されたらしい
 *新羅斧(朝鮮のわらび手斧) *わし=かけ声  *梯立(はしたて)=枕詞 *熊木酒屋=居酒屋 *率(い) *懸(あ) *墜(おと) *勿(な)  

香嶋嶺の 机の嶋の しただみを い拾ひ持ち来て 石以(いしも)ちつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや目豆児の刀自 父にあへつや身女児の刀自   万葉集巻16-3880  作者不明
*しただみ=小さいさな巻き貝 *目豆児=可愛い子 *刀自=主婦 *=ごしごし *あへつや=食事をもてなす
左 机の島  能登中島大橋より中央の島が種子島でその右に小さく見える島が机の島 周囲1.3km 河口から3kmの距離 右 熊木川  能登中島大橋から熊木川上流を見る  大伴家持は七尾湾香嶋津から船に乗りここ中島の熊木川の津で上陸した
    
 左 机の島 ネットより拝借した物 中 久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこ) 七尾市中島町宮前ホ68-1-1  熊木川河口から数キロ上流にある 右 万葉歌碑3首 神社境内 はしたての 熊来のやらに 新羅斧 落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし 巻16-3879  はしたての 熊来酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし 巻16-3878  鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自 巻16-3880
左端 能登国歌万葉歌碑 上記神社近くの熊木川上町水辺公園内 七尾市中島町上町乙 はしたての 熊木のやらに 新羅斧落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし 巻16-3879  中左 長谷部神社 鳳珠郡穴水町川島29-1 平家物語 巻四信連 で有名な長谷部信連を祀る  後白河天皇の第三皇子以仁王(高倉宮)が平氏打倒の挙兵を促したため清盛に追われる際に親王を女装させて逃し自分は一人で300人余の平家軍と戦い遂に捕縛され六波羅引っ張られ平宗盛の尋問を受けたが余りに堂々とした態度に感心した清盛は伯耆の国の流罪に留めた 源氏の世になって頼朝は当時の行いに感心して能登国を与えたのである  中右 万葉歌碑 同寺境内 珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎくれば 長浜の浦に 月照りにけり 万葉集巻17-4029 大伴家持  右端 古代ここ穴水町は香嶋郡長浜郷に属し湾内は長浜の浦と呼ばれていた 家持は珠洲の郷より船出して治布に還る時に長浜の浦に泊りて月光を仰ぎ見て詠んだと前書きしている
左 イカキング いかの駅 つくモール  鳳珠郡能登町逢坂18-1 全長18m 幅9m 重量5tの強化プラスチック製 建設費2700万をコロナ対策の政府の地方創世臨時給付金で作られたので無駄遣いと猛烈な批判を浴びたが巨大イカで18億円の宣伝効果と6億円超の経済効果を発揮されたと言う ここ能登町は日本有数のイカ釣り漁港の町  右 公共宿泊施設(旧国民宿舎 こいじ荘) ラブロ恋路の万葉歌碑 珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎくれば 長浜の浦に 月照りにけり  万葉集 巻17-4028 大伴家持 ここから見る長浜海岸・恋路海岸は絶景です