差 出 の 磯 
差出の磯とは海や川などに突き出ている磯・岬をを指す 山梨市を流れうる笛吹川の当りにある地名である 「 差出」に潮が満ちてくる意味の「さす」を掛けて「潮」「満」などと縁語として詠まれる  又輝いてる意味の指出を掛けて月を縁として詠むとある 他に日本文学歌枕地名辞典や日本文学史蹟大辞典(遊子館)には能登国羽咋郡の海とも書いてあったのです たしかにあの近辺に能登半島国定公園を代表する能都金剛・巌門・ヤセの断崖・鷹巣の岩・義経の舟隠し・猪鼻岬・千畳敷岩等幾重にも海に突き出た断崖が見られ差出の磯に相応しい景観を呈してる

     塩の山 差出の磯に すむ千鳥 君が御代をば 八千代とぞ鳴く       伊勢集      伊勢   

        八千代とぞ 千鳥鳴くなり 塩の山 差出の磯に 跡をたづねて      夫木和歌集  藤原隆信        しほの山 差出の磯の 冬浪に 千歳を祈る 友ちどりかな       後鳥羽院御集  後鳥羽上皇         塩の山 雪げの雲や 晴れぬらん 差出の磯の 月のさやけき        忠盛集  平忠盛      ふけぬるか 寒き霜夜の 月かげも 差出の磯に 千鳥鳴くなり      頓阿法師集  頓阿                 

 ヤセの海岸(0の焦点撮影地) 羽咋郡志賀町笹波地内 松本清張はゼロの焦点を約60年前に発表し北陸を「暗鬱な空と荒い波」などと表現した 又「土地が痩せていて作物がつくれない」ことから命名されたとの説もある ヤセの断崖はその象徴といえる ただ実際に訪れると暗いイメージばかりではない ヤセの断崖は映画で戦後の混乱期に翻弄された悲劇の女性が罪を告白するクライマックスの舞台となった 強い風と波によって浸食された海抜35メートルの断崖絶壁と当時のモノクロ映画が連続殺人の長編推理小説の映画を実に生々しくした 時間が無く立ち寄れず上の画像はネットより拝借
 松本清張 0の焦点の歌碑 羽咋郡志賀町富来牛下  雲たれて ひとり猛れる 荒波を 恋しと思えり 能登の初旅 ここは能登半嶋国定公園を代表する能登金剛・巌門・千畳敷等絶景の地である 右端 歌川広重六十余州名所絵図の浮世絵  『能登 瀧之浦』 に巌門、不動の滝、鷹の巣岩を描いている 正に差出の磯に相応しい絵だ
上  石川県指定文化財 平式部の館跡と庭園(倶利伽羅峠合戦) 羽咋郡志賀町31-31  寿永2年(1183)倶利伽羅峠の戦いで平維盛の総大将の重臣平の式部太夫を租として平家滅亡後故之地に逃れ隠棲したその後平は中能登の在地国秀として成長し応永年間能都国守護職畠山氏に召し出され能登畠山氏の被官となった  隠棲のため平は『ひらか』と詠む 例えば日光湯西川に隠棲した『伴家』は平に『イ』を足して名を隠しているのと同じである  門前に 苔の香に 幾百年を 偲ぶかな 平の屋敷 庭の泉石 歌人江戸さい子 の説明板があった  
 
差出の磯 羽咋郡志賀町富来  上はネットより拝借の能登半島国定公園を代表する能登金剛の画像  我々素人はここまでは危険で入れません