珠 洲 の 海
珠洲郡より発舩(ふなで)して治布(ちふ)に還(かえ)りし時長浜湾(うら)泊(は)てて月光を仰ぎ見て作れる歌一首  右件(みぎにのくだり)の歌詞は春の出挙に依りて諸郡を巡行す 属目(しょくもく)する所之を作る と言う左注の附いている歌である  治布=国府 出挙=国の種籾を貸し出して元利を回収すること

珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎ来れば 長浜の湾(うら)に 月照りにけり   万葉集 巻17-4029 大伴家持

珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鮑玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片去り 朝寝髪 掻きもけずらず出て来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに ほととぎす 来鳴く五月の あやめ草 花橘に 貫き交じへ かずらにせよと 包みて遣らむ 
万葉集巻18-4101  大伴家持
左  能登半島国定公園 恋路海岸像  鳳珠郡能登町恋路8 源平合戦の頃この地方に伝わる愛し合う木郎の里助三郎と多田の里の鍋乃とそれを嫉妬し鍋乃に思いを寄せる男源次による悲恋物語の伝承である 源次の謀で助三郎は海に転落して亡くなりそれを悲しんで鍋乃も海に身を投げた話である  同じ所にある北海道大学のクラーク博士像の説明板 何の関係もなさそうなこの二つの像だが実は像の制作者は大正9年にここ恋路海岸で生まれ後に北海道女子短期大学助教授となる坂 担道の手になる像なのである 意外なところに共通点があるのも知らない地を歩く面白さである 
左 イカキング イカの駅 つくモール 鳳珠郡能登町市之瀬1-11 全長13m 高さ4m 重さ5t 強化プラスチック製 制作費2700万 その内2500万を国の地方創生臨時交付金を充てたため大いなる無駄遣いの批判を浴びた 然し経済効果が制作費の22倍に上り予想以上の効果があったと言う 能登町の珠洲の海は日本有数のイカ漁の町  右 能登町恋路海岸
 能登の名勝見附島 珠洲市宝立町鵜飼 高さ28m・幅50mの直立岸壁はこちらに向ってくる軍艦の様なので別名軍艦島 恋人の聖地にもなっています
左端 春日神社 珠洲市上戸町南方45  中左 万葉歌碑 春日神社道を挟んだ鳥居の向いにある  珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎくれば 長浜の浦に 月照りにけり 万葉集 巻17-4029 大伴家持  中右 春日神社 珠洲市飯田町17-49  右端 万葉歌碑 階段を上ったところにある 珠洲の海に 朝びらきして 漕ぎくれば 長浜の浦に 月照りにけり 万葉集 巻17-4029 大伴家持
左  禄剛崎灯台(通称狼煙の灯台) 珠洲市狼煙町イ-51 能登半島最先端で内海と外海の接点で昇る朝日と沈む夕日が同じ場所で見れる所  日本の灯台50選 日本近代化遺産 恋する灯台認定  明治16年イギリス人の指導のもと日本人の手になり菊の御紋のある唯一の灯台 ウラジオストック777km・釜山783kmの標識が如何にも日本海の灯台らしい 中 能登半島国定公園の一部の海 県道28号奥能登絶景街道から 右 平時忠一族の墓の案内板 珠洲市大谷町則貞 平家落人伝説は全国各地にあるがここ能登は公家平家のトップクラスの落ちた所 時忠の姉は武家の清盛と結婚した時子 妹は後白河上皇と結婚した滋子 そして時子が生んだ徳子と滋子が生んだ高倉天皇が結婚して安徳天皇を生んだ凄い一族のトップなのです つまり時忠は清盛の義理の弟に当たり有名な 『一門にあらざらる者は皆 人非人なるべし(平家にあらずんば人にあらず)は彼の言葉である 平家随一の公家平氏の実力者であった
左 大納言平時忠卿墓所史跡案内図掲示板 右  平時忠歌碑  白波の 打ち驚かす 岩の上に 寝らえて松の 幾代経ぬらむ  
左 歌碑 分けていく 山路の雪は 深くとも とく立ち帰れ 年にたぐへて  中 時忠卿甲子卯月二十四日ご逝去に依り先代を偲び墓所に石碑を建立する とある 第二代目からは則貞を名乗っている 右 歌碑 わが思ふ 人は波路を 隔てつつ 心幾たび 浦つたふらむ
左 平時忠卿とその一族の墓 勿論な中には入れない 中 源義経と平時忠 時忠の娘が義経の妻であったので義経が奥州に下るときに義父である時忠を尋ねるためににここ珠洲に経ち寄ったのでる 仇敵を超越した義理の親子の絆の深さが今も語り継がれている   右 国指定重要文化財 名勝庭園 上時国家 輪島市町野町南時国13-4 源平の合戦に敗れ能登に配流された平大納言時忠を租とする 800年超つづく名家でその子の時国と次の代で300石の時国村を興す 子孫は農業を初め製塩・海運等手がけ繁栄した 江戸時代には天領大庄屋として13ケ村を束ね21代当主は北前船交易で財をなし180年前に巨大でりっぱな現屋敷建てた 庭園も勿論国指定名勝庭園に指定されている 現当主は25代目である
上 国重文・名勝庭園上時国家  時忠から5代めの時国の時この地に土着し時国家を興す 中世以来800年超続く奥能登の旧家 189坪最大級古民家木造建築 大納言格式縁金折上格天井の貴賓室 木造民家最大級18mの茅葺き屋根 丸に揚羽蝶の家紋 天領南時国村大庄屋
上 国重文・名勝庭園下時国家  寛文10年(1670)時国家12代藤左衛門時保の時代に本家上時国家より分家 十村役・肝煎・山廻り役・能登外浦一円の塩吟味役・回船業を務める 加賀藩領西時国村肝煎
 
 輪島塩 塩の駅 輪島市待野町大川1-7 500年ほど前から奥能登に守り伝えられた昔ながらの揚げ浜式製塩方法を今でも塩造りを行う塩の駅  桶を使って海水を撒くのは意外と難しそう 無料で塩造り体験が出来るとのこと  春から夏にかけて朝早くに海水をくみ上げて砂地の塩田にまき散らします