陸奥外川といふ所を船にのり降る程に、船にある者、此のわたりを綾の瀬といひける、歌詠みて神に奉る所なりと云へば詠み侍る
綾の瀬に もみじの錦 たち重ね 二重に織れる 竜田姫かな
  夫木和歌集 能因法師

御諸皇子神社 東田川郡庄内町清川 
最上渓谷が終る地点にある 義経一行はこの神社で一泊して最上川登り平泉へ向かったのです 逆に芭蕉はここで下船している



仙人堂(外川神社)  最上郡戸沢村草薙
 義経の従者常陸坊海尊はここで船を降りて修験の道に入ったと言う 時間の関係で対岸には渡れなかった
 ここへは船でしか行けません 縁結びのご利益がるとんの事
 
千人堂への渡船  陸羽西線高屋駅近く
義経記
には『・・・鎧の明神・冑の明神を伏し拝み参らせて、たかやりの瀬と申す難所を、上らせ煩いひて・・・』とあるたかやりとはここ高屋の事である 仙人堂への渡しは高屋駅の前にある ここは何も無い素朴さが名物 とある


義経・弁慶一行上陸の地の碑(右) 新庄市本合海
左は黛まどかの句碑 草の香に 一舟もやふ 最上川 国道47号線本合海大橋手前右側にあり国道反対側に芭蕉・曾良の乗船の碑がある  芭蕉はここから舟に乗り清川で下船したが義経は清川から乗船してここで下船りている 芭蕉の碑程の人気はなさそうだ

竜田姫は絢爛豪華な秋を司る女神です。奈良県生駒郡三郷町西方にある紅葉の名所が竜田山でそこから流れる小川が竜田川である。有名な歌に
 千早振る 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは     古今和歌集 在原業平

がある。因みに春を司る女神は平城京の東部にある佐保山祭神の佐保姫である。この歌の代表は
 佐保姫の 糸そめかくる 青柳を ふきなみだりそ 春の山風     詞花集  平 兼盛
 うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも  万葉集 大伴坂上郎女
がある。この佐保川のたもとには大伴家一族の屋敷があったと言う。因みに夏を司るのが筒姫 冬は黒姫(白姫・うつ田姫とも?)と言うのだそうですがその由来等については不勉強のそしりは免れません。何方かご存知の方メール頂けたら嬉いです。所でこの綾の瀬の所在が二説あり中々悩ましいのです。上の歌は『西行・陸奥の旅』の出羽・最上川のページに
  最上川 滝の白糸 くる人の 心よらぬは あらじとぞ思       重之集   源 重之
の次に載っていたのですが、吉田東伍氏の古典的名著大日本地名辞書には阿武隈川下流辺りと書いてあるのです。陸前(宮城)亘理郡の阿武隈川の項に『・・・夫木集に能因法師遊行の際のうた、陸奥とかわと云所を、船にのり降る程に、あるもの、此のわたりを綾の瀬と云侍りける、歌よみて神に奉る所なりと云へば、よみ侍る』と言う詞書で綾の瀬の歌が載ってるのです。そして『この綾の瀬、とかは、今知れず、船を降ろすと云へば、細流に非ざるべし、乃、逢隈に附戴す』とあるのです。然し何と言ってもここ外川は最上川でも最も絶景の最上渓谷にありロードマップには紅葉(こうよう)の名所である赤い紅葉(もみじ)のマークがあるのでその見事さは想像できよう。又義経伝説では兄頼朝の追っ手から最上川を上り平泉に逃れる際に、付き添ってきた常陸坊海尊がここ外川の地で義経一行と別れ山に篭り修験道となり奥義を極め仙人になったという仙人堂がある。このお堂は別名外川神社と言うのです。鎧明神・兜明神・竜明神・八向明神と共に最上の五明神と呼ばれてる。そして背後の山中からは大外川沢・小外川沢が最上川に注いでいる。此れに比べ阿武隈川下流は平坦であり竜田姫が舞い降りる様な魅力的風情ではないのです。日本第二の広大な仙台平野の南端にあるのと出羽山中の渓谷美とでは比較仕様が無いのです。何しろここは最上川県立自然公園に指定されてるのです。阿武隈川下流には外川の『と』の字も無いのです。すべて最上川とは対照的である。私にとってどちらであっても歌枕の魅力に変わりはないが、秋の女神の竜田姫の絢爛豪華な景色を想像するとどうしても最上川に分があるのではないだろうか。
(平成19年4月25日)(参考 大日本地名辞書 吉田東伍 西行・陸奥の旅 歴史春秋出版株 郷土資料辞典山形県 人文社)
                   綾の瀬