勧進帳本家と名乗る民宿
近世鼠ヶ関
の隣にある民宿です この奥さんの話では彼女等は近世鼠ヶ関の関守の末裔でこの家の跡が番所跡だという この家の屋号は御番所という 関守末裔だから貴女の苗字は富樫ですか?と問うと地主だという 地主ではなく苗字を聞いてるのですと尋ねると苗字が地主というのでびっくりした   ➡
 ➡勧進帳の安宅関は石川県小松市安宅町にあるが彼女は勧進帳の本家は鼠ヶ関だという 確かに庄内には実に富樫姓が多い勧進帳の関守は富樫左衛門丞泰家だから止むを得ないが息子泰景が温海に住み着いたのが出羽の富樫の祖と言われている
現在の関所は古代鼠ヶ関から移転されたものでその時期や事情は定かでないが所内に酒田氏が入府された元和8年(1622)以降に整備されたといわれている

鼠ヶ関 其の3
 参考 能因歌枕に記載されている
出羽の歌枕

ねずみの関・たちがさき 
かみがは・つりやま・やそ嶋 
たまさかの松・をがみのさき 
いづれの岡・おもひで
ゆめのはな・かいた野・とりのうみ
月のやま・みくし野・袖のうら 
ひさかたの杜・おほやまかた
そらの浦・みかき野
能因(988~1050)が書いた出羽の歌枕で私が確認できたのは4か所のみですが他の歌枕の地は現在何処に比定されるのか確認したいものです

日本の海水浴場100選に選ばれた由良海岸のシンボル白山島と赤い欄干の橋のコントラストが素晴らしい  鶴岡市由良地内
八乙女浦の乙姫像
 その上ここはあの出羽三山を開いた蜂子皇子の上陸した地なのですここは八乙女浦と呼ばれています➡
その名の通り凡そ1400年前蜂子皇子父崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺されその追手を逃れるため丹後の国の由良の浜からあてもなく北上して来たら岩の上で八人の美しい乙女たちが笛に合わせて舞を舞い手招いていたのを見て思わずこの地に上陸したという伝説の地なのです そしてここから3本足の八咫烏羽黒山へと導かれたのです この像の下の穴は八乙女の秘境の洞窟を意味していてしかもそれはあの羽黒山の三神合祭殿前の鏡池と繋がっているという伝説にもとづいていてただ単に開けてるわけではないのです それにしてもご存じあの醜い顔の皇子を手招きするとはよほど物好きな乙女達だったようだ