野村胡堂の生誕の地 紫波町中央のいぐねのある付近が胡堂の生まれた所 勿論今は別人が住んでいる
故里の 春日の丘に かたくりの むれ咲くころの なつかしきかな 胡堂
水戸黄門・遠山の金さんと共に日本三大時代劇と云えば銭形平次親分でしょう 銭形平次捕物控は383編も続いた世界一の探偵小説と言われるのです 勿論最近は藤沢周平(たそがれ清兵衛や蝉しぐれ等)や池波正太郎(鬼兵犯科帳や剣客商売等)の時代小説も人気が高い 其の作者がなんとここ岩手県紫波郡志波町大巻(旧紫波郡彦部村大字大巻)の片田舎出身の野村胡堂なのです 明治15年生 同30年盛尋常中学校(現盛岡一高)・37年旧制第一高等学校・同40年東京帝国大学法学部入学した ことにこの前後は当時盛岡中学時代の大豊作時代ともいわれ金田一京助・石川啄木・米内光正・及川古志郎(海軍大将) 原 逹(原敬の甥) 田子一民(衆議院議長) 安村省三(新渡戸稲造の甥) 下斗米秀三(田中館愛橘博士の甥)等著名な人物とがわんさと輩出している 彼は仕送りの大部分を本の購入にあてたため中学入学時の服を卒業まで着ていたのでその服装はすさまじく犬が驚いて尻尾を巻いて逃げたという 学友の金田一京助は思わず「これはあらえびすだ!」と叫んだというエピソードを持つ(あらえびすは日本書記にある えびすは蝦夷のことで蝦夷には3種類がある その中で服従した従順hな蝦夷をにぎえびす・服従しない荒々しい蝦夷をあらえびす・一番遠くの蝦夷をつがると呼んだ事に因む) 本名は長一だが小説のペンネームの胡堂の胡の意味も中国漢民族からみた異民族の匈奴やペルシャ系を蛮族と蔑視した文字である 日本一そして世界初のクラシックによる音楽評論家だったとは私には初耳で驚いた そして同郷の新渡戸稲造の講演会で「国際人になるには先ず身の回りをきちんと清潔にしなければならない」と云う言葉に衝撃を受けて以来心はあらえびすでも清潔な服装になったと云う 彼は日本のクラシック音楽黎明期に最高最良の先駆者なのです そのペンネームの由来は何と金田一京助が思わず叫んだ「あらえびす」としたのも陸奥の蝦夷の里出の自信と拘りを楽しんだからだろう 収集したクラシックレコードは7000枚・SPレコード2万枚に及ぶという 数万の図書の他安藤広重の浮世絵・ほか書画
・陶器の集収を誇る
(参考 野村胡堂かたくりの群れ咲く頃の 岩手県柴波町) |

私を育んだ彦部の風物に対して村の為に何んの喜するところも無った自責の念に堪へない 願わくは後生子弟をしてこの過をくり返さ度くない心持で一杯である 昭和25年5月5日 老 野村胡堂 上の碑は彼の生まれた家を見下ろすあらえびす館の前にある
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時代の各名優が演じた銭形平次のポスター
(参考 野村胡堂あらえびす館 かたくりの花咲く頃コピー 岩手県柴波町)
左 野村胡堂が記者として大行天皇の崩御を伝える報知新聞 (あらえびす館) 胡堂の署名入りの記事である 父の破産と死によって卒業真近で退学を余儀なくされた胡堂は盛岡中学の同窓の紹介で報知新聞社に入社できたのです 運命とは不思議なものである ここで彼の才能は発揮され政・官・文人との繋がりを得て大正9年には調査部長権文芸部長に昇進した 報知新聞に野村部長あり と称せられたという (あらえびす館)
岩出の里 其の10A
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