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下仁田戦争高崎藩士の碑甘楽郡下仁田町
元治元年(1864年)11月16日未明、両軍の砲声が山々にこだました 天狗党920名 高崎藩320名の激戦であた その後ろ左に島崎藤村の詩碑(下左)がある 文には 過ぎし世を 志津かにおもひ 百年もきのふのごとし と 上州かぶら河のほとりを旅せし縁故により旧詩の一節をもとめられるままに とある 話を聞いた歴史民俗資料館の玄関の前には名産下仁田ネギの植木鉢(下右) |
下仁田戦争碑と碑の向かいの里見家の蔵の弾痕の跡 高崎藩はここ里見治兵衛の蔵の前に本陣を構えたが天狗党の三面攻撃を受けた時の弾痕 過激尊王攘夷派の水戸天狗党920名がその本意を天皇に直訴する為京都へ上る途中ここ下仁田で幕命を受けた高崎藩と激突したもので高崎藩は36人天狗党4人の戦死者をだし敗走した 碑の標文高崎藩戦死之碑は勝海舟の筆による その天狗党も越前にて幕府軍3万人により敗れ処刑された |
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