①万葉集巻14-3402と②巻20-4407の歌碑
①日暮れ時に碓氷の山を越える日はあの方が衣の袖をはっきりとお振りになった
②日が曇り薄日が差すという碓氷の坂は この坂を越えるにつけて置いてきたあの娘が恋しくて忘れようにも忘れられな(訳 万葉集全歌講義 (有)笠間書院) 防人たちにとって東山道一の急峻な碓氷峠は故郷上野国の見納めの地であり振り切らねばならぬ訣別の地だったのです(②が説明板の後ろになってしまった)

右端  熊野皇大神の由緒は古事記・日本書紀にある 日本武尊が東征を終え碓氷の峠に来たが濃霧のため道に迷った ➡ 
  御神木科の木
科木
は樹齢800年で信濃国の語源となった大木だ
 古事記では信濃国を科野国とあり地名にも埴科・更科・蓼品等があり科木が多かったからだろうか
碓氷の坂 Ⅱ

一つの神社ながら二つの宗教法人からなり長野側を熊野皇大神といい群馬側を熊野神社という 宮司も二人おりそれぞれが祀り事・御祈祷・お守り・社務所も別々なのだ  右下正面本宮の祭神 伊邪那美命 日本武尊
左皇大神宮(那智宮 事解男命
右熊野神社(新宮)  速玉男命
其の時八咫烏が現れ紀州熊野の御神木の椥の葉を加えた八咫烏が現れ先導したので無事山頂までたどり着けた彼は八咫烏の御導きを熊野の神霊の御加護によると考えここに熊野三社を祀ったのです 人皇12代景行天皇の御世に勧請したのです 本宮の正面の門のひさしにはのような県境の標識がある つまりこの神社は県境の真上にある二社でそれぞれに宮司のいる珍しい神社なのだ