左端 万葉仮名の歌碑 妹我家尓伊久里之森之藤花今来暮牟春毛常 久之見牟 大原高安真人 歌は天平18年(746)僧玄勝が伝誦したもの 歌碑は明和元年(1764)井栗村の大庄屋松川重行が建立した(説明板) 伊久里神社境内にある 伊久里の森については大和説・越中説等もある 伊久里から井栗村になったという 意味は伊久里の森の藤の花をやがて巡りくる春をいつもこのように眺めていたいものだ(説明板)とある 左 伊久里の藤が絡みつく榎の大木 古老のはなしによるとこの藤の木は周囲180mにもおよび農家の人たちの雨宿りの場所だったという 又藤の花が咲く時期には多くの人が花見に興じたという この藤の木は大変古いが樹齢は不明との事 勿論万葉時代のもではないでしょう 伊久里神社から1.5kmほど南西へ行った所にある 右 式内社伊久里神社 新潟県三条市井栗1-24-22にある |
|||
榎の幹に絡みつく藤の木 御覧のように榎の大木もほとんど見えません 花の咲くころはさぞ見ごたえがある事でしょう 勿論周囲は森ではなく一面田んぼでした |