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右 山本五十六記念館と
彼の胸像(説明板) 長岡市
明治17年(1884)生の旧姓高野五十六 旧長岡藩山本帯刀家をつぎ会津藩士族の娘と結婚文武両道・質実剛健・常在戦場を持ち石油・航空機に早くから注目特に航空機の重要性力説したが海戦にはあくまで反対だった 「この身滅ぼすべき この志奪うべからず」と日独伊三国同盟にあくまで反対した 意に反して連合艦隊司令長官となり未曾有の大戦争の指揮官となったが昭和18年米軍に暗号を解読されブーゲンビル島で敵機に撃墜された その搭乗機の左翼の一部が記念館に展示されているが撮影禁止でした
記念館の少し離れた生誕の地に彼の胸像が建っていてその向かいに生家が残っている 最終階級は元帥海軍大将 栄典は正三位大勲位功一級
左 金峯山寺 蔵王堂城跡内
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河井継之助記念館と彼の立像(パンフレット)
文政10年(1827-1868)長岡に生まれる 佐久間像山に学び長崎に遊学して攘夷論に反対した後に長岡藩上席家老となる 戊申の役では中立を唱えたが受け入れられず交戦を決意し軍事総督となる 巧みな戦術で一度落ちた長岡城を奪還し新政府軍を慄かせたが多勢に無勢次第に追い詰められ長岡藩は会津へ逃れるが途中福島県只見町にて死亡する 像前に彼が購入した実物大模擬ガトリング砲がある
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出雲崎 Z

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