『今菅原村と云ふ 高田の東南三里 式内社菅原神社有 (或いは万葉集の歌名所越の菅原をコシの菅原と読み此れに引きあつれど採り難し 彼章はヲチの菅原と読むべく和州の事のみ)』(大日本地名辞書 富山房東国北陸編)とある 確かに万葉集巻7-1341には
真玉つく 越智の菅原 我れ刈らず 人の刈らまく 惜しき菅原
と詠まれてる 同上方編には『今越智岡新沢は古の越智なり 越智岡稜は皇極天皇を葬り越智野は万葉集に詠ぜらる 越野は越智野なり 歌枕にコス野と詠むは誤れり
しきたへの 袖易へし君 玉だれの 越野に過ぎぬ 亦も逢はめやも 194.195 柿本人麻呂
此の反歌は裏書に『或本云 葬河島皇子越智野時』とあり 因りて越野は乎知野とよむべし 高市郡の地なり 万葉集に又越の菅原あり 之を高志国と為すも非なり』とある 大和の国奈良県に分がありそうだが野暮は云わずに載せました
下 延喜式内社頸城郡13座の一つ菅原神社 |
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