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左端上下 越後一ノ宮国上寺と隣が本堂
良寛ゆかりの国上山は山の名はくがみさんと呼び寺の名を呼ぶときはこくじょうじ と云うのだそうだ 真言宗豊山派雲高山国上寺は和銅2年(709)弥彦大明神(天香山命)の御託宣により泰山澄大徳の開山になる北越鎮護・仏法最初の霊地である(説明板)
左上下 良寛像と歌碑
国上寺境内にある像と歌碑
あしひきの 山のたをりの 紅葉はを
手折りてぞ来し 雨の晴れ間に
上 六角堂
文治3年(1187)兄頼朝に追われた義経・弁慶以下数人の家臣は奥州平泉秀衡を頼って寺泊を経てここ国上寺を参詣して今後の無事を祈願して大黒天木造を寄進したと伝える 文化13年(1816)当寺に秘蔵された大黒天を招副利益のため六角堂を建立して本尊として安置した(説明板)
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弘法大師 五鈷掛の松 弘法大師が中国より帰国の途次三鈷と五鈷を投げられと、三 鈷は高野山の松にかかり五鈷が当山のこの松の枝にかかり真言道場になりました。国上が天台から真言に変わるきっかけを語る逸話である 右の詩碑には 国上の、大殿のまえの、一つ松、上つ枝は照る日をかくし、中つ枝は鳥を住ましめ、しづ枝は甍にかかり、時じくぞ霜は降れとも、時じくぞ、風は吹けれども、千早ふる神のみ代より、ありけら可、やあやしき松ぞ国上の松は と彫られている |