参道入口左側にある石碑文
養老4年陸奥国蝦夷の大反乱により按察使上毛野廣人が殺害されたので新たに多治比県守(あがたもり)真人が征夷将軍となって遠征するにあたり三毳山山頂で日本武尊に神頼みの祠を建て戦勝祈願したのに始まるという 三毳山が陸奥蝦夷30年戦争に対する大和朝廷の背水の陣の祈願所だったにに違いない 考えてみれば白河の関を越えればそこは征服すべきまつろわぬ蝦夷の国だったのだ 下野国はその後方支援基地だった 古代東山道は三毳山の麓を通っていたのだ
なだらかで女性的姿に似ず凄惨な歴史を見つめてきた小山なのだ
資料提供 栃木市教育委員会文化課 尾島忠信氏
三毳山 V