標茅が原 今栃木市街の北方の郊野を云ひ、殊に合戦場、河原田、木野地等に渉る。散在の林奔藪沢は、げに古荒原の風景を留む。合戦場は近世は例幣使街道の一宿たり、栃木の北一里に満たず。合戦場とは、大永三年、皆川宮内少輔宗成と、宇都宮忠綱の闘争せる処にて、地名之に起こる。標茅とは標地にて、標示して占めたる土地をしめちと云ふならん、標野の古語あり。方俗に白地原と呼ぶ。
\猶たのめ しめじが原の さしも草 我世の中に あらむ限りは
新j古今和歌集
伊吹山 今吹上村の城山の峰を指すごとし、標茅原より抜く百二三十米突の小岳のみ。国誌云、伊吹山は吹上村にあり、栃木駅より西北の方にて、今道一里余あり、其所に善応寺と云う真言宗の古院ありて、伊吹山と号するなり、また境内に観音堂立り、是は古へ標茅原にありしを、こゝにうつしたる地とぞ、其のあたりにさしも草あまた生ず、葉の形尋常より大きくて、葉さき七尖なり、尤も効能他に異なるよし、さて伊吹山の事は、能因が坤元儀に、「此山は美濃と近江との境なる山にはあらず、下野なり」と記したるよし 顕昭の袖中抄にみゆ、さしも草とよむは、皆下野なりと記したり。
思ひだに かゝらぬ山の させも草 誰かいぶきの さとはつげしぞ
枕草子 大日本地名辞書 坂東 富山房 |
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