乃木神社と乃木別邸内の乃木希典像  邸内にある夫人静子の名をとった静沼
 他に大垣藩士戸田氏共の戸田農場 武州埼玉出身吉田市十郎の那須東原開墾社 長州藩毛利元繁の毛利農場 士族授産の為の共墾社 鍋島藩佐野常民の佐野開墾 薩摩藩士西郷隆盛の弟西郷従道の西郷農場 長州藩山田顕義の山田農場 長州藩品川弥二郎の傘松農場等主に薩摩 長州出身者により那須野が原は開拓された
(参考 那須野が原歴史訪問 石ぐら会・ウイキペディア・乃木希典 国書刊行会)
 那須の篠原 X




左 青木周蔵別邸(黒磯市) 長州藩士 勲一等子爵 日本最初の種痘を実施した青木周弼の弟 外務大臣 ドイツ・オーストリアハンガリー公使 オランダ公使 駐米大使 各条約改正交渉 ドイツ貴族エリザベートと結婚 青木農場は当時1576haあり跡地は今 道の駅明治の森黒磯となっていてその奥に建物がある
 
乃木氏長州藩士陸軍大将贈正二位勲一等功一級伯爵第10代学習院院長 明治天皇崩御に際し夫人静子と共に殉死された 日露戦争203高地作戦では多くの犠牲者を出し一部愚将論もあるが地元住民が寄付を募り大正5年4月13日那須乃木神社を創建した 境内と別邸内は神社樹林に囲まれ町指定天然記念物になっている この旧宅で凡そ4年間晴耕雨読の余生を送った 神社前には乃木将軍御夫妻勧農の地の大きな標柱が立っている 彼は此の地をこよなく愛しいとまあらば 君も一度 来て見ませ 須のが原の 雪のあけぼのと詠んでいる
上 三島神社(西那須野町) 三島通庸と三島家累代 開拓の先陣142柱を祭神とする 薩摩藩士 内務官僚 正三位勲二等子爵 酒田県令 山縣県令 福島県令 栃木県令 警視総監 彼は土木県令 鬼県令とも呼ばれ其の強引さは福島県の弾正が原の喜多方事件で『火付け強盗と自由党は頭を上げさせ申さず』と自由民権運動家河野広中の福島自由党をつぶしてしまった 勝てば官軍の薩摩の三島はまつろわぬ賊軍奥羽を思いのままに開拓した 三島農場肇耕社跡地は今那須野が原博物館でその向かいに神社がある
左中
 松方正義別邸(西那須野町) 薩摩藩士 従一位大勲位公爵 総理大臣2度 大蔵卿・大蔵大臣(初代・2代・3代・4代・6代・8代・11代) 日本銀行設立 元老 内大臣 別府温泉発展元     
乃木希典の辞世の歌は 
 うつし世を 神さりまして 大君の 
みあと志たひて 我はゆくなり