乃木氏は長州藩士陸軍大将贈正二位勲一等功一級伯爵第10代学習院院長 明治天皇崩御に際し夫人静子と共に殉死された 日露戦争203高地作戦では多くの犠牲者を出し一部愚将論もあるが地元住民が寄付を募り大正5年4月13日那須乃木神社を創建した 境内と別邸内は神社樹林に囲まれ町指定天然記念物になっている この旧宅で凡そ4年間晴耕雨読の余生を送った 神社前には乃木将軍御夫妻勧農の地の大きな標柱が立っている 彼は此の地をこよなく愛しいとまあらば 君も一度 来て見ませ 須のが原の 雪のあけぼのと詠んでいる |
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上 三島神社(西那須野町) 三島通庸と三島家累代 開拓の先陣142柱を祭神とする 薩摩藩士 内務官僚 正三位勲二等子爵 酒田県令 山縣県令 福島県令 栃木県令 警視総監 彼は土木県令 鬼県令とも呼ばれ其の強引さは福島県の弾正が原の喜多方事件で『火付け強盗と自由党は頭を上げさせ申さず』と自由民権運動家河野広中の福島自由党をつぶしてしまった 勝てば官軍の薩摩の三島はまつろわぬ賊軍奥羽を思いのままに開拓した 三島農場肇耕社跡地は今那須野が原博物館でその向かいに神社がある
左中 松方正義別邸(西那須野町) 薩摩藩士 従一位大勲位公爵 総理大臣2度 大蔵卿・大蔵大臣(初代・2代・3代・4代・6代・8代・11代) 日本銀行設立 元老 内大臣 別府温泉発展元
乃木希典の辞世の歌は
うつし世を 神さりまして 大君の
みあと志たひて 我はゆくなり |