遊行柳 由来・事情不明の方にはただ田んぼの中に柳が2本あるだけです これが歌枕探訪の魅力です
田一枚 植えて立ち去る 柳かな の風情そのもの
下段3枚は那須郡那須町高久甲にある芭蕉二宿の地とそのその隣にある芭蕉塚 元禄年間ここ高久は黒羽藩領で問屋名主高久覚左衛門が馬子の駄賃稼ぎの運送業営んでいた 芭蕉と曾良は温泉神社へ上る前にここに悪天候の為覚左衛門宅に二泊した所で 今も末裔の方が住んでおられ門には問屋の標識が埋められていた この家には芭蕉自筆の有名な芭蕉懐紙が現存している
みちのく一見乃桑門同行二人那須の篠原をたつねて猶殺生石をみむとて急ぎ侍れば雨降り出絵ければ此のところにとどまり候
落ちくるや 多可くの宿の 風羅坊(芭蕉)
木乃間越(を)のそく 短夜の雨 曾良
芭蕉塚には芭蕉の来歴を記念して芭蕉没後61年の宝暦4年覚左衛門の孫青楓が芭蕉と高久家のつながりを後世に伝えるため碑を建てた 芭蕉庵桃青君の碑(芭蕉塚右端) その時に句を埋めたので杜鵑(とけつ)の墓と称される 曾良日記には「落ちくるやたかくの宿の時鳥 翁」としたため覚左衛門に授けた」と書いている(那須歴史探訪館資料コピー) |
高福寺 左記芭蕉と曾良の句 |
西教寺重ねとは 八重撫子の 名なるべし |
黒羽城田や麦や 中にも夏の ほととぎす |
遊行柳 V
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