片貝川
富山県魚津市の南東にある毛勝三山の猫又山に源を発する 東又谷、南又谷、別又谷の水を集め北西に流れ富山湾へ注ぐ 河口は魚津市と黒部市の境界となっている 水源となる2,000m級の山々からわずか27kmほどで海に流れ込む平均勾配8.5%の日本屈指の急流の一つである
越中に入る前 新潟と富山の国境の市振で一泊した芭蕉は 奥の細道の中で『今日は親知らず子知らず・大戻り・駒返しなどと云う北国一の難所を越えてつかれ侍れば枕引き寄せ寝たるに一間隔てて面の方に若き女の声二人許りときこゆ・・・・』とあり 次の句を詠む
一つ家に 遊女も寝たり 萩と月
北陸高速道路 越中堺パーキングエリア 芭蕉句碑
『くろべ四十八か瀬とかや数知れぬ川をわたりて奈呉と云う浦に出ず』 と記述し越中に入る
かたかひの 川の瀬清よく 行く水の たゆる事なく あり通ひみん 万葉集巻17-4002 大伴 家持
おち激つ 片貝川の 絶ぬこと 今見る人も やますかよはん 万葉集巻17-4005 大伴 池主
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上左が自作の画像 残念ながら曇天の天候でしたので右のウィキペディアからのものも転載 有頼大橋 黒部市荒町 |
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左端 鶏野神社境内大伴家持家持万葉歌碑 黒部市宇奈月町1955 鶏の音も 聞こえぬ里に 夜もすがら 月より他に 訪ふひともなし 巻18-4097 右端 月訪の桜 6月中旬で曇天のため暗いのが残念 月訪の桜の名の由来はこの土地の静けさを鶏の声さえ聞こえず訪れるのは月だけだと詠んだ家持の和歌に由来する |
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左端 大徳寺 魚津市持光寺定籍 中左 大徳寺境内の万葉歌碑 万葉仮名で彫られている 片貝の 川の瀬清よく 行く水の 絶ゆることなく あり通いひ見む 中右 裏面に家持の片貝川を詠んだ事情の説明碑 右端 魚津市川の瀬団地にある片貝川の歌碑 裏面には家持が近くを流れる片貝川の清流を詠むんだ事によって川の瀬の地名になったとある |
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上段 立山開山の祖 佐伯の有頼の碑 片貝川の土手有頼大橋にある 黒部市荒町 越中国守館跡有頼柳 佐伯有頼が16才の時国司父佐伯有若が大切に飼っていた白鷹を無断で連れ出したところ突然鷹が飛び立ってその姿を見失った 有頼が鷹を逃がした所がこの有頼柳のある所(父・有若の屋形があった場所)今でもこの地は立山巡礼の出発地点とされる この柳の木の横を流れる片貝川の河原の石を柳の木に乗せ既に乗っている石を持って立山に登拝すると主神の立山権現が喜ばれ願いを叶えてくれるという言い伝えが今も残されている 背後の木が有頼柳で手前の碑の前の小石が片貝川の小石 |
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眼目山立山寺 富山県中新川郡上市町眼目15 禅宗曹洞派の名刹として知られる眼目山立山寺は建徳元年(1370年)に創立された 山門前の参道には栂(とが)並木が立ち並び天然記念物(県指定文化財)に指定 樹齢400年、高さ約20m、太さ3m前後あり成長の遅い人工植樹の栂(もみの木)がこれほど巨木なるのは日本でも立山寺だけで永い歴史を偲ばせる 寛永の中頃眼目山復興の際に現在の旧上市町まで4kmにわたって植樹されましたが寺運の衰退と共に境内地に最も近いこの並木のみが残されました。中右 栂並木 右端は杉並木 併せて200m余ある
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左端 国指定指定天然記念物 宮島鹿島樹叢の地 左中 宮崎鹿島神社 鹿島神社鎮座する樹叢一帯は昭和11年に早くも国指定天然記念物に指定され程の宝の森なのだ 北限・南限の植物は勿論 37種類の陸産貝類 200余の鳥類 椎の純林 タブ・アカガシの群落など総て日本随一の地 右中 親鸞上人仮泊古跡の地 手前の石には 越路なる 宮崎の浜の 岩かげに 宿りて弥陀の ???? 下新川郡朝日町宮崎 右端 芭蕉の句碑 早稲の香や 分け入る右ハ 有磯海 下新川軍郡朝日町元屋敷 |
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上左 日本三奇矯の一つ愛本の刎橋 黒部市宇奈月町下立地区内 黒部四十八ヵ瀬の交通の難を緩和するため寛文二年(1662)加賀藩五代藩主前田綱紀は峡口相本に特殊な形態の橋を架けさせ地名を愛本と改めさせた 橋脚を用いず両岸から橋材をせり出し組合せた構造の橋を刎橋という 愛本橋は刎橋として日本一の規模で 日本三奇橋(錦帯橋・猿橋)の一つといわれた 然し34間余のものを橋杭を使わず支えることはきわめて難しく10年ほどたつと橋は落下してしまった 上右は現在の愛本橋 |
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左端 黒部川 上中・右端 頼 三樹三郎漢詩碑 幕末の尊王攘夷の志士でもあった頼三樹三郎が21歳の時に江戸を出発し北海道に渡りその帰路秋田から越後を経て江中についた1848年秋に愛本橋を渡り詠んだもの 安政の大獄で死刑 この碑は昭和38年に宇奈月温泉開湯40周年を記念に黒部川左岸(愛本橋のたもと)に建てられた 有名な頼 山陽の第3子で京都生まれ 右端 わせの香や 分け入る右ハ ありの海 芭蕉句碑 下新川郡朝日町元屋敷 |
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