奈呉の浦   

・・・くろべ四十八が瀬とかや数しらぬ川をわたりて奈呉と云う浦に出・・・奥の細道
わせの香や 分入る右ハ 有磯海

奈呉の浦とは富山湾の内 射水市に面した新湊付近一体をを指してる 現在は埋め立てられた護岸工事のため当寺の俤は全くない 大伴家持や芭蕉の他の多数文人墨客がたずねきて多くの歌の詠まれた地 昔からの憧れの地だがイメージが全く違っていたのは致し方が無い 下の黒松に往時を偲ぶだけだ
あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣りする小舟 漕ぐ隠る見ゆ         万葉集 巻17-4017    大伴 家持

奈呉の海人の 釣りする舟は 今こそは 舟柵出でて あへて漕ぎ出め         万葉集 巻17-3956    秦 八千島

奈呉の海 沖つ白波 しくしくに 思ほえむかも 立ち別れなば               万葉集 巻17-3989    大伴 家持
 
奈呉の海に 舟にまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと 見て帰り来む
          万葉集 巻18-4032     田辺 福麻呂

奈呉の海に 潮のはや干ば あさりしに 出で無むと鶴は 今そ鳴くなる          万葉集 巻18-4034     大伴 家持  

あゆをいたみ 奈呉の浦廻に 寄する波 いや千重しきに 恋わたるかも         万葉集 巻19-4213     大伴 家持

水門風 寒く吹くらし 奈呉の江に 夫婦呼びかわし 鶴さはに鳴なく            万葉集 巻17-4018     大伴 家持

急ぎしも 越路の奈呉の 継橋も あやなく我や 嘆き渡らん                夫木和歌集        和泉 式部

奈呉の海の 霞のまより ながむれば入る日を洗ふ 沖つ白波                 夫木和歌集      藤原実定

     波たてば 奈呉の浦みに 寄する貝の 間なき恋にそ 年は経にけり            万葉集巻18-4032     田邊福麻呂          

放生津八幡宮 射水市八幡町2-2-27  放生津八幡宮は大伴宿祢家持が越中の国司として赴任した際奈古之浦の風光明媚・風景絶佳な景色を常に愛せられ豊前の国から宇佐八幡神を勧請して奈呉八幡宮と称されたのが創始である 祭神は「応神天皇」で「仁徳天皇」が配祀され今も地方の総社としてあがめられている 奈呉の浦の中心放生津八幡に僅かにその俤を残す以外海岸線はコンクリートブロック覆われている

 放生津八幡宮境内   奈呉の海と言うは放生津潟の古名なるべし と大日本地名辞書にある
   
 左端 奈呉ノ浦碑 中左 古代の名残黒松 中右 大伴家持万葉歌碑  あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣りする小舟 漕ぎ隠る見る 巻17-4017 以上放生津八幡宮境内 右端 大伴家持万葉歌碑 新湊小学校内 射水市桜町6-1 水門風 寒く吹くらし 奈呉の江に 夫婦呼びかはし 鶴さはに鳴く 巻17-4018
 左端 新湊(奈呉の浦)縁の万葉集歌十首 中左 芭蕉句碑 早稲の香や 分け入る右ハ 有磯海 放生津八幡境内  中右 荒屋神社  射水市八幡町3-5-28  越中御所跡・放生津御蔵跡 の説明坂のみ 右端 境内にある芭蕉句碑 早稲の香や 分け入る右ハ 有磯海
 

左端 内川にかかる赤い屋根のかわいい橋  全国的にも珍しい歩行者専用の橋 渡るだけでなく立ち止まり時を過ごす憩いの橋として両岸を結びつける詩的な風情を醸し出している 基本設計はスペイン生まれのセザール・ポルテラ氏(コルナ建築大学教授)  中 室町幕府第十代将軍 越中公方北条義材像 内川放生津橋 明応の政変は室町時代の明応2年(1493年)4月に細川政元が起こした室町幕府における将軍の擁廃立事件 この政変により将軍は足利義材(義稙)から足利義遐(義澄)へと代えられ以後将軍家は義稙流と義澄流に二分された 右端 日本のベニス 射水市内川 富山スタイルネット 内川は富山新港から東西約1850メートルを結ぶ運河 海から海へとつながる珍しい川 古くから地域住民の生活と深く関わりをもった川として親しまれてきた 川べりには民家が立ち並び川の両岸に漁船が連なって繋留されている風景はどこか懐かしさを感じさせ「日本のベニス」と称されている

 
 左端 新湊大楽寺  射水市立町2-9 歴史的建造物2件全国寺院で国登録有形文化財登録第一号とある 中左 境内の万葉歌碑 水門風 寒く吹くらし 奈呉の江に 夫婦呼びかはし 鶴さはに鳴く  巻17-4150 大伴家持 後ろの枝垂れ桜は福島県三春の天然記念物の滝桜を実生から育てた物ですとの住職の話 中右 内川 右端 内川の河口 奈呉の浦(富山湾)に注ぐ
 
左端 神殿跡地 後醍醐帝第五皇子中務卿征夷大将軍宗良親王潜匿之地 高岡市下牧野1519  この碑には南北朝時代随一の家人親王の歌4首が刻まれている 故郷の 人に見せばや たち山の 千歳ふるてふ ゆきのあけぼの ・ 玉くしげ 二上山を 見るたびに 都のふじと 思ひわびぬる ・ おもひきや いかで越路の 牧野なる 草の庵に 宿からむとは ・ 今はまた 問い来る人も 奈胡の浦に しおたれて住む 身とはしらなむ 右端 テトラポットの奈呉の浦 もはや見る影はない
 
 左 奈呉の浦大橋 新湊内川河口にかかる見事な橋 平成5年完成 欄干や手すりには万葉歌碑や曳山のパネルがあり展望台からは立山連峰や二上山の絶景が見渡せる 車のため駐車出来ず残念 中 橋の展望台からの奈呉の浦 左 天皇陛下御製 深海の 水もて育てし ひらめの稚魚 人らと放つ 富山の海に 海王丸パーク
 

奈呉の浦海王丸パーク 海王丸は国及び財団法人日本船舶振興会の建造補助金、関係諸団体・業界ほか国民からのの寄付を仰ぎ昭和62年度から3カ年計画で建造を始め平成元年9月15日竣工した大型帆船  同船は当財団が保有、独立行政法人海技教育機構がこれを練習船として運航し東京海洋大学、神戸大学(海事科学部)、商船系高等専門学校、海技大学校、海上技術学校及び同短期大学校の学生、生徒に対する実習訓練を行うとともに一般青少年を対象にした海洋教室、体験航海にも利用される  またわが国が世界に誇る帆船として外国の寄港地において絶賛を博し国際友好親善にも大いに役立っている  射水市 中央は海王丸写真集ネット  ここは 恋人の聖地  水門風 寒く吹くらし 奈呉の江に 妻呼び交はし 鶴さはに鳴く 大伴家持 万葉集巻17-4018