後 瀬 山

若狭武田氏の若狭路最大級の山城で国指定史跡 若狭守護職武田氏は初代信栄以降信賢・国信・元信・元光・信豊・義統・元明と3続き役130年にわたり若狭を統治した 武田氏滅亡後は丹羽長秀・浅野長喜吉・木下勝利・関ヶ原の戦いの勝利の後は京極高次が小浜城主となった 彼は後瀬山城を廃し海の近くに小浜城を築城した 京極高次はお茶々・お初・お江の浅井長政・お市の方の3姉妹のお初を正妻として同行して小浜に来ている

かにかくに 人はいうとも 若狭路の 後瀬の山の のちに逢はむ君          万葉集 巻4-737  大伴坂上大嬢 
坂上大嬢が家持に送った歌
後瀬山 のちも逢わんと 思うこそ 死ぬへきものを 今日までも生けれ        万葉集 巻4-739 大伴家持
言のみを 後も逢はむと ねもころに 我を頼めて 逢はざらむかも             万葉集 巻4-740  大伴家持
家持が大嬢に返した歌2首
おろかなる 跡も後瀬の 山に生ふる しゐて千歳の かたみとをみよ                       三条西実隆 
うつろはん 物とや人の 契りおきし 後瀬の山の 秋の夕霧                    続拾遺和歌集  正三位知家
けさの間に ふりこそかはれ 時雨つる 後瀬の山の 峰のの白雪                新後撰和歌集 公侍従公世
恋しなむ 後瀬の山の みねの雪 消えなばよそに あわれともみよ             新後撰和歌集 読み人知れず
あひ見てし 後瀬の山の のちもなど かよはぬ道の 苦しかるらむ               新後撰和歌集 前大僧正良覚