常陸傅嘉永六年安藤味噌醤油醸造元 仙北市角館町下新町
看板に上記の記載がされている 明治中期に立てられた東北最古の連歌造り座敷蔵として仙北市指定文化財である 享保年間から地主として角館に住み小作米として入ってくる米の一部を味噌・醤油の醸造を開始した➡ |
妙栄山学法寺 仙北市角館町西勝楽町
明徳年間当時会津鶴ヶ城城主芦名直盛が開山したと伝える 当初は大宝寺と称して芦名氏の祈願所として庇護された その後前述の如く伊達政宗に敗れたため本家佐竹氏に従いて角館に配された 芦名義勝(義広→森重)は大宝寺を角館に移したのです その後義勝の正室の菩提寺となる ところが須賀川城主の後裔が正室の義父が二階堂隆盛=芦名隆盛だったことから二階堂家の菩提寺となったようである
福島県須賀川市の二階堂家菩提寺がここ角館にあるのにはびっくりした 二階堂氏も葦名氏とともに伊達政宗に敗れている
➡醸造技術取得に苦労し常陸国にまで出かけて品種の改良に努めた その名残に看板に常陸傳(伝)と載っている
|
|
三河人菅江真澄終焉の地 角館神明社境内 天明3年(1783)30歳で国を出てから45年一度も国に帰ることなく陸奥・蝦夷地をくまなく紀行し日本最初の民俗学者と呼ばれる 文政12年(1832)地誌『月の出羽路仙北郡』の調査の途中田沢湖町神代梅沢で病に倒れここ明神社神職宅に移され後7月19日に秋田をこよなく愛し76歳にて没す 遺骸は秋田市の友人宅鎌田正家の胡四王神社神域に埋葬された
左 学法寺の寺子屋学習塾 ご住職に二階堂氏の角館菩提寺の由来についてお聞きした 学習塾長らしく色々ご説明いただきました 年代まで正確に説明されたが詳細は記憶できませんでした 結局跡継ぎのなった二階堂氏に佐竹北家から養子を得たと云う それにしても塾の名に相応しい学法のおかげで東大合格2名 英検1級全国初合格を出した誇らしげな看板はに学法の名前はまさにうってつけでPR効果満点でしょう
|