和井内貞行生誕の地 先人の館
 
国登録有形文化財 旧関善酒店こみせ 鹿角市花輪字上花輪
明治38年の建立で木造では東北最大級の吹き抜けと15間もの長大な桁行一部三階建てそしてこみせと内部の小屋組みも見ごたえがる 
下左 花輪ばやし 
幸(さきわい)稲荷神社の祭礼で国指定重要無形民俗文化財に指定
 左下➡ 国重要無形民俗文化財毛馬内盆踊り 鹿角市観光交流課の許可を得て掲載 

錦木塚 狭布の里 其の8


2つ左 相馬大作潜伏の地碑
南部藩本名下斗米秀之進は文政5年(1823)が津軽藩主の参勤交代の折矢立峠津軽寧親公を襲撃する計画をしていが仲間の裏切りで未遂に終わりここに一か月潜伏していた(先人の館の向の泉沢家) 南部藩への迷惑を避けるため名を相馬大作と名を変え江戸に逃れたが文政5年小塚原に獄門の刑に処せられた この事件は長年の津軽と南部の確執と怨念の象徴的事件である


どじょっこふなっこの碑 仁叟寺
作詞豊口 静志
 秋田県の歌である 
上 菅江真澄の道 しるけ川
上左 内藤家三代の墓
  仁叟寺
鹿角は魅力的史跡・遺跡・歴史の地なのです 内藤湖南は秋田師範高等師範科卒であるがジャーナリスト後は京都大学教授となり東洋史学の京都学派を形成した(尚湖南については司馬遼太郎氏の街道を行く29に相当ペ-ジを裂いて詳しく載っていて大変興味深い) 祖父天爵・父十湾(南部藩毛馬内守桜庭氏の家臣・湖南の三代の墓 他に戊辰戦争戦没者の碑もある

右上 我幻の魚をみたり和井内貞行は十和田湖開発の偉人だ 十和田湖と言えば青森のイメージが強いが世に知らしめたのは秋田県人である

相馬大作事件本人潜伏の地