雄勝柵擬定地の一つ羽後町足田のひばり野足田遺跡
 グランド造作中に多数の遺物が発掘されたが未だ遺構は見つかってない 近くで働いてた農家の方に聞くと今もこの下には遺跡物がるため重機を入れるときには許可が必要だと話していた
 
人形道祖神 鹿島様  武神を象徴した藁人形と云うが何処か愛嬌がる 2000年の伝統を誇るというがその名前の由来は鹿島神社が戦の神様から来てるのでしょう 全身藁人形で何としても巨大で3~4mの高さになる 道祖神からして街道の分かれ道や宿場の出入り口に置かれよそ者や悪霊・穢れを持つ者の侵入を抑え清めるものなのでしょう

国登録文化財 両関酒造 湯沢市前森  院内銀山と云う大消費地があり水と米に恵まれて往時は11件の造り酒屋があったと云う 創業は明治7年(1874) 個人商店伊藤仁右衛門商店から始まる 現在両関酒造㈱で秋田県では最初に有形登録文化財に指定された建物が5か所ある 銘酒に政宗の銘柄が多く使われていて東の大関政宗・西の大関宗近から東西に君臨するようにと両関と名付けたという
 足田遺跡の碑 雄勝郡羽後町足田
雄勝柵の所在地は未だ確定していない 払田の柵をあてる学者もいて定かでないのです 然しこの町には平城京にある三輪神社があるのです 奈良盆地三輪山をご神体とする我が国最古の神社が三輪神社、神様の中の大神様 で各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最 高の待遇に預かり無比のご神格で大和朝廷の守護神でもあったろう 遥かなる毛外の地で荒ぶる蝦夷鎮圧の心の拠り所に三輪神社を祀るのは当然だろう➡


ユーモラスな鹿島様 湯沢市岩崎八幡神社境内

菅江真澄の道 岩崎城祉 湯沢市岩崎
続日本紀天平宝治2年(758)12月8日の条に『桃生城・雄勝柵を造らしむ』とある

続日本紀天平宝治3年(759)7月26日の条に』勅して陸奥国桃生城・出羽国雄勝城を造らしむ』

続日本紀天平宝治4年(760)9月26日の条に『勅して完成の功を賞す』とある

このころに雄勝柵は設置されたようだが然しそれが何処であるかは記載されていないので確定しした地域は今のところ不明であるが雄勝郡羽後町がその地名にして確証は高そうだ
 
         小野の郷 其の7