下右 津輕要害重砲兵連隊竜飛砲台跡地の碑 他に北部71部隊第2中隊大3砲台跡・旧函館要塞重砲連隊第2中隊の碑等がたっている 昔も今も軍事上重要な地です

下左 吉田松陰の碑 嘉永4年(1851)幕末の吉田松陰もロシアが北海道に出没する事を案じ軍事的重要性から竜飛岬を訪ねている 弱冠22才の時である 他に大町桂月の歌碑もある 
 津が津海峡冬景色の碑
 ♪ご覧あれが竜飛岬北のはずれと~ 見知らぬ人が指をさす~・・・・♪ の竜飛岬にある津軽海峡冬景色の碑 遠くには北海道渡島半島が見える勿論間の海は津軽海峡である 南国熊本県出身の演歌歌手石川さゆりは北國青森竜飛﨑を歌って名声を得たのです   竜飛岬から渡島まで僅か19kmで水深140mと浅い 青函トンネルが下を通るし名目上は国道279・280・338号も通ってる事になっている 然し最深部は450mもあり軍事上シーレーン防衛上のチョークポイントとなっている

  蝦夷が千島 其の4
     
     

 柴崎城 小泊村
竜飛岬を南下すると小泊村である とは云っても余り知られていない村であるが中々個性ある史跡があるのです ここは日本書紀にある「問莵」の蝦夷が比羅夫に後方羊蹄に政所の設置を進言したとあるが「問莵」とはここ小泊との説もある 又蝦夷の末裔を名乗る安東盛季が嘉吉3年(1443)が南部氏に追われ福島城・唐川城へと逃れ遂に渡島(北海道)に逃避する際に

中国から贈られた徐福の石造 
 小泊村の極め付けは徐福伝説である 紀元前219年徐福は秦の始皇帝の為不老不死の薬草を求めて東海の蓬莱と言う国をめざし男女数千人を引き連れ出航しここ小泊岬に漂着したと言う壮大な伝説の地の一つである  
 
最後に立て籠もった城が柴崎城である 然しこの鳥居から600mも奥にあるので時間の関係で本丸までは行けなかった