陸奥は蝦夷のを語源の地名が多いが最後まで蝦夷の国であった岩手・青森県・秋田県には古代の地名が今も数多く生きているのである。例えば宇曾利(うそり)は下北半島全体の古代地名で現在も恐山 宇曾利湖として観光のメッカであり 爾薩体(にさたい)は二戸市金田一の近くに仁左平と言う地名があり、 幣伊(へいい)は岩手県の三陸沿岸に閉伊郡 下閉伊郡として生きつづけている。前9年の役でも源頼義は安倍頼良の背後を突くためカナ屋 仁土呂志(にとろし) 宇曾利方部の三部夷人の首領で同じ俘囚の安倍富忠に働きかけをしたと 陸奥話記のっている。凡そ1055年頃である。そしてそのハイライトは都母(つも)と言う古代地名で爾薩体の北部辺りあったが、それがの名前で立派に現存しているのは古代蝦夷が手の届く所にいる感動を覚えるのである。この辺りには坪川 坪橋 廃止路線には坪駅もあり勿論人の苗字も坪さんが多く居るという(案内してくれた電力会社勤務の八巻氏談)。ところがこの辺境の地に昭和24年6月21日突然世間を騒がす大発見が現東北町その名も石文集落の農家の川村種吉(当時74歳さんによりなされたのです。馬頭観音の碑を彫るための石を探していて偶然にも『日本中央』4文字が刻まれた石を掘り出したのです(東北町坪の碑保存館資料)。坪の碑の最古の初見は藤原顕昭の袖中抄(1185〜1189)である。その中に有名な歌の注釈がある。『顕昭云。いしぶみとは陸奥のおくにつぼのいしふみ有。日本(ひのもと)の東のはてと云へり。但、田村の将軍征夷の時弓のはずにて石の面に日本の中央のよしを書付たれば石文と云と云り。信家の侍従の申しは、石の面ながさ四〜五丈なるに文をゑり付たり。其所をつぼと云也。私云。みちの国は東のはてとおもえと、えぞの嶋は多くて千嶋とも云ば、陸地をいはんに日本の中央にて侍るにこそ』と載っている。凡そ既に971年頃生まれの懐円の歌に  
 日かづへて かく降りつもる 雪なれば つぼの碑 跡やたゆらん
 
 
とありこの歌からして坪(壷)の碑は平安初期には広く都の知れ渡る所だったに違いないのだ(真実の東北王朝)。詠まれだした頃には碑は行方不明と云う名ばかりの有名な幻の碑だったのですがこの石が発見される以前から壷の碑はこの辺り(東北町 天間林村)ではないかという噂はあったと言う。又建保4年(1216)の鴨長明の発心集の中に『・・・その後この国へ帰りて都あたりは事に触れて住みにくしとて夷があくろ・つかろ・つぼのいしぶみなどいふ方に住みけるとかや・・・」とある。夷は蝦夷の事であくろは悪路王、つかろは津軽で悪路王や碑が地名にもなっているのは面白い。

千曳石伝説や坪の地名そして発見以前からある石文集落の地名は何を物語っているのだろうか?実にミステリーな所なのである。坪村にとっての不幸はその発見があの多賀城の碑より350年も遅れた事と 芭蕉が奥の細道で青森まで足を伸ばさず多賀城の碑を壷の碑だ と感激して書き付けた事である。そのため多賀城の碑が『壷の碑だ』と言う認識が広く世に知れ渡ってしまった。然し前ページの詠まれた歌を見ると多賀城よりずっと津軽の方が相応しい地名が多く載っているのは注目すべきだろう。18世紀南部潘士清水秋全は多賀城の碑文をみて『あれは単なる東西南北の遠近を記してるだけで尊く深い意味は無い。壷碑は南部坪村にあり日本の中央と云う意味深長なる銘文は誠に深い理由がる』と書いている。そのミステリーなのは日本中央の意味である。この解釈は多数あるようだが古代語の東北学(歴史春秋社)と云う本を簡単に紹介すると 日本は当時とか大和の国と呼ばれていて日ノ本とは奥州の事なのだそうです。十三湊の安東氏は日ノ本将軍と呼ばれたし秀吉の小田原攻めでは『小田原の事は関東 日ノ本迄の置目にて候まま・・・・』とあり関東(坂東)と奥州(日ノ本)を対等に記している。つまり日ノ本とは陸奥をさす言葉なのだそうだ。つまり陸奥 北海道 千嶋を含めたエリアが日ノ本で都母がその中央であった と解釈 推測しているのです。単純な4文字だけに逆に多くの人に多様な想像力を膨らませてくれるロマンを秘めているのです。田村将軍が弓の筈で彫った彫らぬは兎も角 3代目征夷代将軍文屋綿麻呂が浅虫温泉辺りまで来ているので彼の軍団の誰かが関与した可能性はあるのではないか。初期の陸奥の大和朝廷の初々しさを感じる所である。さらに素朴な字体は多賀城の碑のそれよりも真実味に溢れている。正式には「ひのもとのまなか」と読むのだそうです最後に面白いのは『日本中央とは当時の蝦夷の中心地でる』と云う意味で従ってその意図は『ここはお前達蝦夷の住む国の中心地だ。だからここを中心とした地域内で静かに生活している限りはもう政府はお前たちを責めては来ない。この碑はその印である』と七戸市史にあるのは実に有り得る想像力である。
(平成15年6月6日)(参考 真実の東北王朝  古代語の東北学 歴史春秋社 東北ふしぎ探訪 無明舎出版 東北町坪の碑保存館資料・七戸市史)
       壷の碑 其の2