壺の碑はこの保存資料館の中に安置されている 現在ここは日本中央の碑歴史公園として整備されている 然し殆ど人家はなくご覧のように山林と畑である |
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右が源 頼朝 左が阿仏尼の歌の碑 公園内
右上 八巻氏は昭和40年代 電力会社勤務時代に探した碑は草むらの中に立っていて探すのに苦労したそうだ 右の写真は碑が保存されるまで粗末な小屋の中にあった跡である 現保存館から100m程はなれている所に置き石があった |
現在の保存館から少し北上して千曳の信号右折すると県道8号線にでる これは東北本線とともに八戸に至る道である ここに東北本線と県道8号線が交差する無人の千曳駅がある この東北本線が通る谷底から世紀の発見があったのです ここが川村種吉さんが碑を発見した川底である 道路より大分下の低湿地帯で人目のつきにくいところではある 壷の碑は現在の保存館で発見されたのではなく数キロ離れたここ赤川上流の石文地区の低湿地帯の林の中で半分埋もれて発見されたのです 石文地区の赤川の谷底で碑は発見されたのです |