五所川原地名の由来となた八幡神社
この御神体はその昔中津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祀られていたが洪水の際いにここ元町の岩木川原に流れ着いたものである 元の五所村に返しても洪水のたびに不思議にもここ元町に流れ着くのでこれは神の思招によるものと考えてこの地に祠ったのが始まりで五所河原としたと云う 別名御所河原ともいう(説明板)

 斜陽館 五所川原市金木町    下 雪国御殿 五所川原金木町

芥川龍之介に心酔して芥川賞を目指したが遂に入賞できず劣等感(選ばれてある事の恍惚と不安と二つ我にあり 恥の多い人生を送ってきました 自分には人間らしい生活というものが理解できないのです・・・)から身を持ち崩した  津軽第一の財と才能を持ちながら酒と薬で女性と心中した太宰 治の生家でお馴染みの太宰の生家斜陽館と 
財と才能を求め中学卒業後津軽を後に上京しておら東京さいぐだの大ヒットでその後に故郷に錦を飾った吉 幾三雪国御殿(昭和61年演歌雪国の大ヒットにより建てられたとか))と共に北津軽郡金木町の好対照の二人の生き様と建物が金木町の面白い所でしょう 身を崩してから芥川を離れる事により太宰自身本来の作風になってからは今でも若者の人気を維持してるのは皮肉なことである 雪国御殿は斜陽館から数キロ離れた田舎道の行き止まりに建っている  確かに彼の歌詞と寸部違わぬ信号も無ェ・バーも無ェ・車もそれほど走って無ェ村である
 左 国重要文化財斜陽館追加  1階11室278坪 2階8室116坪 宅地682坪土間から米蔵まで日本三大美林の総ヒバ造りである 太宰治の父津島源右衛門が金木銀行の店舗兼住宅として改築明治40年(1907)竣工した 当時の建築費で4万円でした 太宰はこの家を『父はひどく大きな家を建てたものだ 風情も何もないただ大きいのである』と云っている 2006年9月6日朝日新聞be on saturdayに偶然太宰の事が載っていた 太宰(津島修治)と妻美智子には3人の子供がいた 長男正樹は早世したが長女園子さんの夫は元厚生大臣で現衆議院議員の津島雄二氏なんだそうです そして次女は作家の津島佑子さんと言う そして今年前半のNHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」は彼女の小説「火の山ー山猿記」が原案なんだそうです どうりで桜子の姉の画家の夫は最後まで津輕弁を話していたわけですね なんか太宰が身近になりました 

津軽三味線仁太坊追加
 
『ワ(私)はホイド(乞食)でねぇ 芸人だ』が彼(仁太坊 秋元仁太郎)の口癖だったと言う 当時は芸事をして施し(門づけ)をもらう『ボサマ』は外道として蔑まれたが苦労の果てについに生きるための芸、『叩き奏法』を生み出した。やがて津輕一円の評判となり白川軍八郎他多数の盲目の入門者が相次いだのです。こうして次第に地域を越え 時代を越え 世代を超えて津輕三味線は世界の三味線となっていったのです 一方こちらも盲目の高橋竹山に代表される哀愁漂う繊細な音色が特徴の『弾き奏法』はその奏者が少ないと言う。どちらにしても津輕三味線の音色は津輕の土着の郷愁を誘う音色なのです それは一見に絢爛豪華に見えるが何故か哀愁漂う『ねぶた』に似てると思うのは私だけでしょうか

   津輕 其の6

     

     
  私鉄津軽鉄道芦野公園駅  日本最北の私鉄鉄道 金木町芦野公園内を通る 津軽五所川原駅から津軽中里駅の20,7kmを走る 芦野公園の桜まつりは有名だ

右上下 太宰治の銅像と文学碑 金木町芦野公園内
平成21年(2009)、生誕100年を記念し、太宰治銅像が建立されました。像は35歳の頃のもので、東京の自宅付近を散歩している写真をもとに、彫刻家・中村晋也氏が制作。像の高さは約2m。石製の台座に載り、マントを羽織り、生家・斜陽館の方向を眺めています。

文学碑はフランスの詩人ベルレールの詩の一節
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」
と、記され、碑の最上部には太宰の生まれ変わりを意味する不死鳥が刻まれています。